火曜日、六本木ヒルズのTOHOシネマズにて「ゲド戦記」を観る。
ヒルズで映画を観るのが「スチームボーイ」以来だった自分に少し愕然とする。あれがヒルズ初体験だった・・・しかも独りだった・・・。懐かしいのう。 ネタバレバレするので観ようと思ってる人は注意。 世間では結構な酷評を貰っちゃってるらしい(実際の記事等を目にしてないのでホントのところは全然 知らない)ジブリ最新作、吾朗さん初監督作品。 うーん、とね。アタシは、割に面白かったよ? と、いうのが一番はじめの感想。 思ってたほどじゃないし、観るに堪えうるものではあった、と言いたい。 てめー吾朗このやろー! みたいなことは、思いませんでしたよ別に(誰かが言っていた訳でもないですけどね こんなこと)。 いや しかし、駿さんの偉大さが改めて知れたというのも、本当のところで。 父を越えることはできなかったか、という無念さはありますよね。さほど期待していたということでもないですけど。 今までのジブリ作品の完成度の高さが実によく分かった、という作品になってしまっていることは否めない。 何でこういう作り方をした? と思える部分が多くて。他にも選択肢はあっただろうに、何故 敢えてこういう風にした? という疑問が、要所要所でふつふつと湧き上がるのです。 例えばキャラの薄さ。 主人公・アレンを始め、テヌーにもハイタカにもテルーにもクモにもウサギにも、誰にも愛を示せない。愛せるほどのキャラクタァがないように思えるのだ、どの人にも。 それは、それぞれのバックグラウンドがあまりにも明かされていない、ということに繋がってくる。 色々と示唆はされるんだけど、結局 核心は隠されたまま、観る側の想像に委ねられている形で、それが、あまりにも もどかしいのだ。極度に中途半端なほのめかしにとどまっているせいで。 言ってしまえば、気持ちが悪いのね。はっきり教えてくれればいいじゃん、という不満が残る。 もっと効果的に、それぞれの辛かったり暗かったりする背景を垣間見せることは、できたのではなかろうか。 それから、何はなくとも「龍」の使い方が。酷いと思う。 これさえ なければ、アタシはもっとこの映画を高く評価できている気がする。 ホントに、無理矢理なんとか どうにかして使いました感が、ありありと表出してて。 いや、テルーが実は龍だった、というのは元からいたキャラとしての自然な流れだったのかもしれない、だとすれば そういうラストに持ってくるまでの伏線が、あまりにも足りなさ過ぎる。 ここでも、語らなさ過ぎ、ということがマイナスを引き起こしてる。 物語が結局はゲドとクモの個人的な確執に終始する、その点はいいとして、だったら世界の均衡がどうとか龍がどうとか、アレンの逃亡劇とか闇との葛藤とか、そういうものは要らないじゃないか、という話になってくるでしょう。 いれるならいれるで、中途半端に使わずにもっと どうにか上手いこと処理をして欲しかった。それはどうすればいいのかは、まるで検討がつきませんけど。 誰か一人 好きなキャラを、と言われれば、クモかもしんない。と思う。 心の弱い人に素直に同情して同調してしまう傾向にあるから自分は。 ウサギの悪役っぷりも嫌いじゃない。嫌な奴であることは間違いないけど。 途中で出てきたオバサン二人は、過去のジブリ作品にはない嫌味な性格を持っていたように思う。そこが吾朗さんカラーなのかな。 あと、クモが本当の姿になってしまってからの絵柄。 押尾守みたいだ、と思った。20世紀末から21世紀にかけてのジャパニメーションの絵ってヤツかなと。 吾朗さんの若さというものが出ているとすれば、そこかもしれない。 いや しかし、とにかく今までジブリを見続けてきた人は取り敢えず劇場に足を運ぶべきだと思う。ちゃんと自分で観てから とやかく言うべきだと。 吾朗さんの二作目を、アタシは待ちたいと思う。これで辞めないで欲しいと思う。 駿さんにも引退しないで欲しいけど。 ■
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by ling-mu.m
| 2006-08-26 00:22
| 映画
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