久し振りにダンス。しかも珍しく(てか、初めて)横浜で。
場所は横浜駅から程近い小劇場・STスポット。キャパ60ぐらいっぽいちっちゃーい所。 そこで行われた「ラボ20 #18」にトモダチが出演するため、観に行ってきました。 ちなみに以下は公式HPより引用。 「ラボ20」は、身体表現の新たな局面を切り開こうとする作家を対象にしています。 現在活躍中のアーティストがキュレーターを務め、オーディションから出演者を決定し、 公演全体をデザインします。 だ、そうな。 70組近い応募の中から最終的に選ばれたのは8組。その中に、我らが南ちゃんもいるのです(ピロとかミスチルとか、読んでんならそろそろコメントのひとつもしたらどーよ。淋しいじゃん)。 8組はA・Bの2組に分けられていて、本日 観てきたのはBプログラム。 「KeM-kemunimaku-project」と「山縣美礼×矢萩竜太郎」と「きこり文庫」の3組です。 さて感想ですが・・・。 全体として、やっぱりダンスは難しい! て、結局は、思っちゃうんだよなあぁぁー。 いい加減そこから前に進めよ! て感じなんですけど、頭でっかちで理屈こねるのが好きな性分が邪魔をするらしい。 ダンスを受け止めるって、特別な感性が必要な気がする。特別っていうか、別のっていうか。 今回 考えたのは、「言葉がない」こと。 基本的にダンスって言うのは台詞がなくて、ストーリィもなくて、言葉が作り手・踊り手と観客を媒介しない。 どう捉えようと自由、何を思おうと自由。 その自由っぷりに、あたしは足を捉えられているのか。 何か、を、感じたい。 でも、その、感じた、ことが、正解か否かが、気になる。 正解なんてないんだよ、てのが、本当のところなんだろうけど。 言葉がないってのは、リアルじゃないってことでもある。気がする。 いま・ここ に、何かを表現する「ひと」がいて、本来 人は言葉でもって意思疎通をするもので、以心伝心とかあるけど、でも基本は、言葉を使えば伝達力をあげられるもので、一概にそうとは言えなくても、そういうもので、でも、目の前のこの人は何も言わない。喋らない。明確な感情が見える行動もとらない。 「人と人」という関係において、言葉がないってのはだから、非リアルなんだと思う。 ところが、ダンスは芝居と違って「作られた誰か」ではなく「あなた」をぶつけられる。 差し出されるものが、すごく生身で、そういう意味では、このうえなくリアルなのかなとも思う。 とか・・・色々 思ったんだけど、他にも考えたことは沢山あるんだけど、それぞれについて言いたいこともあるんだけど、ちょっと息切れしてしまった。 書けば書くほどとってつけたようになってしまうのは何でだろう。 自分の中で熟成されてないってことなのかなー。
by ling-mu.m
| 2005-12-10 00:18
| 芝居/舞台
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