昨日のバイト帰り(って言わないか帰り道な訳じゃないから・・・)に観た芝居、弘前劇場+ROGOで「FRAGMENT『F.+2』」、新宿pumplemousseにて。
セットはごついバイクと白いベンチ、赤いドラム缶。 舞台は真夏のガソリンスタンド、すぐそこには海、働く二人は先輩と後輩。 先輩の粕谷は映画監督、後輩の中山はタップダンサーになりたい。中山はアメリカに行くために金を貯めている。粕谷は四十になるというのに駄目人間なまま、恋人のアヤコと暮らす日々。 上っ面の、でも時に互いの傷をえぐる会話を繰り返す二人のもとにふと訪れた通りすがりの女と男。彼らは二人の人生を何も変えやしない。ちょっとした波、すぐに忘れさるような。 ひたすら会話、会話、会話、の芝居。 どこかで聞いたことがあるような、ありきたりでお仕着せの、型にはまった言葉たち。 しかし、並べ方の妙なのか何なのか、彼らの口から紡ぎ出されるそれに飽きる時は、簡単には訪れない。じっと身動きもできないまま、彼らの言葉に耳を傾け、核心を待つ。物語が動く時を。 ものっすごい量を喋られた割に、あまりどっしりした印象が残っていないのは、語られるのが彼らの内面、心の内ばかりで、「物語」というものがあまりなかったからだろう。そういう意味では、じれったい芝居ではあった。でも退屈はしない。 粕谷との友人関係を断ち切りたい中山、しかし本音のところでは果たして本当に切りたがっているのか、もはや諦めているのか。 だらしのない日々を送り何をなすつもりもないように見える粕谷、彼の中にはまだ映画への情熱があるのだろうか。中山をなじるのは純粋な嫉妬心からか? 本当のところは何も語られない、彼らの真の思いなどあばかれない。しかし、そんなものかもしれない。本人ですら、そんなもの分かっていることのほうが少ないのだから。 夢への憧れと根拠のない確信、自己防衛のための哲学とあらゆる名言、時に襲われる自己喪失、抑えようのない性欲、やり場のない世間への苛立ち・・・人間が苦しむ姿を垣間見せながら、言葉の破片ははどこまでも散りばめられて、収拾はつかない。 この作品、十年前に作られたものなんだそうだ。 で、「FRAGMENT」て作品自体はシリーズものらしくて。 重かったな。 言葉を吟味して理解するために、もう一度 観たいと思った。
by ling-mu.m
| 2005-03-18 16:58
| 芝居/舞台
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