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SHAKESPEARE'S R&J
今月 観る芝居の中で一番チケットの高かったヤツ。B席(3階)、5000円。
JR大船駅から徒歩ほどなくの、鎌倉芸術館というところで観劇。途中、静岡銀行の支店があってちょっと嬉しかった。アタシはいまだに静銀です。手数料かかるし記帳はできないし、いい加減 都銀に変えようとは思っているのだけどね。

「SHAKESPEARE'S R&J」、脚色・演出がJOE CALARCOという人で、7年前にオフブロードウェイで上演されたものを訳しての日本公演だった模様。
出演者は男4人。佐藤隆太、首藤康之、小林高鹿、浦井健治。知ってる人は最初の二人。でも首藤さんは、バレエの人、程度のもの。別に佐藤隆太のファンでもなく。
観に行くことにしたのは、ストーリィに惹かれて。
厳格なカトリックの全寮制男子校に暮らす高校生たちが、規則を破りこっそりと、「ロミオとジュリエット」のリーディングをする。読むだけでは飽き足らなかった彼らは、やがて外に出て演じ始めた。そして、学校生活の中では得られなかったものを手に入れる。
と、TVで観たんです確か。佐藤隆太が特集されてるバラエティーかなんかで。
だから、アタシはてっきりそういう筋書きのはっきりした芝居だと思ってたのね。

蓋を開けてみて、やっちまったーと思ったけど後の祭り。
演じられたのは、「男子高校生4人の演じる『ロミオとジュリエット』」、つまり物語てものはなくて、あるとすれば「ロミオとジュリエット」という物語で。
脚色、てなってる時点で気付こうよアタシ。いたく反省。事前に情報 集めることを覚えます・・・。

ロミジュリは一度だけ読んだことがあります。昔、土佐弁に書きかえたことがあって、その時に。
信長が髪の赤いロッカーだったりする腐女子受けの高い某時代小説を読んでたがための、エセ土佐弁遣いだった時期の話さ。
で、まー別にシェイクスピア好きでもないし、誰のファンでもないし、という人間にとって今回の舞台が面白い筈がなく。眠くなってしまったよ。
シェイクスピアが好きじゃないと観れないんじゃないかなーと思った。台詞は、高校生が演じ手ってんで大分 脚色はされてるけども、基本はあのしゃべくり倒しの原作ですから。
初めて読んだ時、アタシにはあの膨大な台詞がみんな、空虚に思えて仕方なかった。こいつら全員、口から生まれてきてるんか。無口って単語はこの世界にはないんかい、と。それは今回もさほど変わることはなく。
でも、人間の口から温度のある言葉として発せられると、なかなか味わい深くなるもんだなと思えるところも、少しだけどあった。ロミオとジュリエットの初対面シーンなんか、ここから面白くなるのかも、と淡い期待を抱いたほどだ(期待は結局 裏切られたけど)。
だからね、あの美しい言葉を並べ立てて素晴らしい台詞を紡ぎ上げてるシェイクスピアの世界観に浸かれる人じゃないと、楽しめないんだと思うんだよ。
同じシェイクスピアでも、「マクベス」の方がまだ好き。ロミジュリは、昔からただの茶番劇にしか見えないんだアタシには。
もしかこの作品で新たなロミジュリの世界が見れるかも? と思って観てたけど、それだけの力は本作にはなく。残念です。

4人で色んな役を回して演じる訳だけど、ロミオは首藤、ジュリエットは佐藤が演じます。この二人の演技がまた、私はあまり好きにはなれず。
首藤はカツゼツが悪い。すごく悪い。聞き取りにくいことこの上ない。カツゼツが悪い役者とアナウンサーは嫌い。
佐藤は・・・佐藤がロミオやった方がまだしっくりきたんじゃないのか? と、ちょっと思う。女役をやるには元気すぎる。はかなさがない。「高校生が必死で演じてる」という感じは出てたけど、ジュリエットらしさよりそっちが狙いだったというのなら、成功してると思うけど。
ロミジュリの物語自体が入りこみにくい世界だから、結果 ストーリィには感動のしどころがなく、せめて役者の演技に価値を見出したかったけど駄目だった。
唯一、小林高鹿は上手いと思った。多分 小林さんだったと思うけど(遠くて顔が見えなんだ)、ジュリエットの母や神父の役を演じてた人。いい声だし(これは好みの問題だね)、その声がまたよく通るし、NYLON100℃の役者だったらしい(まだ一本しか観てないけどケラリーノ・ サンドロヴィッチが好きかもという予感があって、だからNYLON100℃は近々 観に行きたい劇団なのです)ので、これから注目しとこうと思ってます。たかしか、と読んでいいらしい。変わった名だ。

足をそろえて踏み鳴らしたり行進したり、そういう音って緊張感が出るし好きなんだけど、シンプルすぎてインパクトがないなと思う。4人もいるから、迫力は結構なものなんだけど。
長台詞をきちんと言うことに一生懸命で、感情をこめて演じるということはなされていない。「高校生の行うリーディング」ならばそういう形でいいのだろうけど、私の観たかったものは違うから、そこのズレが結局 不満足をもたらしてしまった訳だよね。
シェイクスピアが、ロミジュリが、もしくは出演者の誰かが好き、という人にとっては、面白い舞台なのかもしれない。実際、アリーナら辺の客はすんげー拍手してたし歓声あげてた。立ち上がってたし。熱狂的なファンなんじゃろなーと、アタシは上から冷めた目で見ていたのでした。
アタシもあんな風に拍手を送ってみたいものだ。羨ましい。
by ling-mu.m | 2005-03-10 23:52 | 芝居/舞台
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