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ゲド戦記
火曜日、六本木ヒルズのTOHOシネマズにて「ゲド戦記」を観る。
ヒルズで映画を観るのが「スチームボーイ」以来だった自分に少し愕然とする。あれがヒルズ初体験だった・・・しかも独りだった・・・。懐かしいのう。

ネタバレバレするので観ようと思ってる人は注意。



世間では結構な酷評を貰っちゃってるらしい(実際の記事等を目にしてないのでホントのところは全然 知らない)ジブリ最新作、吾朗さん初監督作品。

うーん、とね。アタシは、割に面白かったよ?
と、いうのが一番はじめの感想。
思ってたほどじゃないし、観るに堪えうるものではあった、と言いたい。
てめー吾朗このやろー! みたいなことは、思いませんでしたよ別に(誰かが言っていた訳でもないですけどね こんなこと)。

いや しかし、駿さんの偉大さが改めて知れたというのも、本当のところで。
父を越えることはできなかったか、という無念さはありますよね。さほど期待していたということでもないですけど。
今までのジブリ作品の完成度の高さが実によく分かった、という作品になってしまっていることは否めない。

何でこういう作り方をした? と思える部分が多くて。他にも選択肢はあっただろうに、何故 敢えてこういう風にした? という疑問が、要所要所でふつふつと湧き上がるのです。
例えばキャラの薄さ。
主人公・アレンを始め、テヌーにもハイタカにもテルーにもクモにもウサギにも、誰にも愛を示せない。愛せるほどのキャラクタァがないように思えるのだ、どの人にも。
それは、それぞれのバックグラウンドがあまりにも明かされていない、ということに繋がってくる。
色々と示唆はされるんだけど、結局 核心は隠されたまま、観る側の想像に委ねられている形で、それが、あまりにも もどかしいのだ。極度に中途半端なほのめかしにとどまっているせいで。
言ってしまえば、気持ちが悪いのね。はっきり教えてくれればいいじゃん、という不満が残る。
もっと効果的に、それぞれの辛かったり暗かったりする背景を垣間見せることは、できたのではなかろうか。

それから、何はなくとも「龍」の使い方が。酷いと思う。
これさえ なければ、アタシはもっとこの映画を高く評価できている気がする。
ホントに、無理矢理なんとか どうにかして使いました感が、ありありと表出してて。
いや、テルーが実は龍だった、というのは元からいたキャラとしての自然な流れだったのかもしれない、だとすれば そういうラストに持ってくるまでの伏線が、あまりにも足りなさ過ぎる。
ここでも、語らなさ過ぎ、ということがマイナスを引き起こしてる。

物語が結局はゲドとクモの個人的な確執に終始する、その点はいいとして、だったら世界の均衡がどうとか龍がどうとか、アレンの逃亡劇とか闇との葛藤とか、そういうものは要らないじゃないか、という話になってくるでしょう。
いれるならいれるで、中途半端に使わずにもっと どうにか上手いこと処理をして欲しかった。それはどうすればいいのかは、まるで検討がつきませんけど。

誰か一人 好きなキャラを、と言われれば、クモかもしんない。と思う。
心の弱い人に素直に同情して同調してしまう傾向にあるから自分は。
ウサギの悪役っぷりも嫌いじゃない。嫌な奴であることは間違いないけど。
途中で出てきたオバサン二人は、過去のジブリ作品にはない嫌味な性格を持っていたように思う。そこが吾朗さんカラーなのかな。
あと、クモが本当の姿になってしまってからの絵柄。
押尾守みたいだ、と思った。20世紀末から21世紀にかけてのジャパニメーションの絵ってヤツかなと。
吾朗さんの若さというものが出ているとすれば、そこかもしれない。

いや しかし、とにかく今までジブリを見続けてきた人は取り敢えず劇場に足を運ぶべきだと思う。ちゃんと自分で観てから とやかく言うべきだと。

吾朗さんの二作目を、アタシは待ちたいと思う。これで辞めないで欲しいと思う。
駿さんにも引退しないで欲しいけど。
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by ling-mu.m | 2006-08-26 00:22 | 映画
あ、ぶれた
月曜日、神楽坂Die PratzeにてKeM-kemunimaku-project 「あ、ぶれた」を観る。
「ダンスが見たい!新人シリーズ4」で新人賞を受賞したごほうび、なのかな。
友人が主宰する三人のグループです。

60分ガチでダンスなんか観れるのか自分・・・しかもバイトあがり・・・という不安もありましたが、いや、面白かった。うん。
前回は線の上をひたすら歩く→走る というものでしたが、今回はちょっと進化(?)してて、見たことない動きが入ってきてて二度三度 お。てなりました。


暗闇の中から浮き上がるシルエット、互いに絡み合いながら着かけの服(ワンピース)をゆるゆると着ていく三人。曲はリスト。
やがて三人が左向きに一列に並び、差し出した両手に水を受ける。右向きに反転し、歩きながら線上に水をこぼしていく。
それから、また こないだのように、歩く。歩く。歩く。
今回は縦ではなく横で。
相変わらず、揃いもせず互いに目線や言葉を交し合うこともなく、単調にひたすらに、前だけを見て、歩く。

正直ゴメン、アタシは途中で一度ガクンと落ちました。ふわっと、違う世界へ。
でも その時に耳だけが冴えていて、ああ三人とも足音が違うんだ、ということに気付いたのは新鮮だった。
ためしに目を開けて足音を聞いてみたのだけど、目を閉じている時ほど鮮明に違いが分からなかったのは不思議。
単なる自分の鈍感さ かな。そうかもしれないけど。

じりじりと、こちらの忍耐力が試されるように歩き続けられて、変化を待ち続けて、そうしたら今度は各々がてんでバラバラに、好き勝手な方法でもって線をたどるようになる。
寝転がってみたり這ってみたり跳ねてみたり。
その姿は、自由奔放な筈なのだけど、何処か息苦しくて、闇っぽいものを感じさせなくもないもの。でも それは各自の心の問題かもしれなくて、自分の好みに終始するのかもしれない。
そういう風にアタシには見えた、という話で。
何でか、痛い。
歩くだけ、という、ある意味ひとつの秩序・規則から解き放たれた姿、にしては、重くて、枷があるように思えて、この辛さは何なんだろうなぁ、と、思いながら、見てた。
泣きたくなるなぁ、て。
ただのアタシの感情過多かもしんない。情緒不安定なのか。

お。て思ったのは、それぞれが線を描いていたのが終わって、三人揃って肩をくっつけて早足でぐんぐんぐんぐん、て歩き出した時。
初めて、三人が互いの存在を見つけた、風に見えた瞬間。その空間が交わって融け合って、ひとつところにいるように見えた瞬間。
でも あくまでペースは自分本位で、置いていかれるパーツは容赦なく置いていかれる。早足から駆け足になって、スピードが きゅるきゅるきゅるって上げられて、風穴が開いたみたいな。
引きこまれる感じ。

そんで、ドカンときたのが ゆらゆら帝国ですよ。
ワンピース脱ぎ捨てて、ゆら帝をBGMにヘッドバンキングですよ。しかもストロボですよ。
あんなに互いに無関心だったように見えた三人が、押し合い へし合い。
コマ送りの、パラパラ漫画の世界。そこに見える混沌。
がっちゃがちゃ の世界。



うん。楽しかった。
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by ling-mu.m | 2006-08-25 00:57 | 芝居/舞台
天地水 月光浴
月曜日、バイトあがりに大丸ミュージアム・東京に石川賢治 月光写真展「天地水 月光浴」を見に行く。
丸の内北口から八重洲南口への移動はいつやっても しんどいわ。

満月の光だけで撮ったという作品群。
砂漠や岩や木や動物や海や、世界の様々の場所の写真。
これが満月の光かい、というほどの明るさで、昼間かと見紛うのだけど、背景には円を描く星が見えて、ああ夜なんだなと思い直すのです。
会場は照明が落とされ、スポットライトの当たり方によってはその光が満月のようで、イイ感じ。
虫の音や風の音が効果音として使われていて、うるさくない程度だったけど、そのスピーカーの置き方は少し無粋かなと思った。
できれば隠して欲しかったな。
キャプションがあったりなかったり、というのも如何なものか・・・。
全部あってもウザいけど、前半は殆どナシで後半はある、ていう構成はどういう考えのもとになされているのか、少し疑問。

個人的には、月下美人が花開いていく様が四枚の写真で綴られている連作が気に入りました。
縄文杉の姿が見れたのも感動。10月に会いに行くのです。ぐふ。

長い時間 開きっぱなしにしているからなのか、どの写真も絵画のような印象になるのが興味深かった。
線が柔らかく、例えば滝のパノラマが、砂絵のように見えるのです。
だから、迫力はないのね。
幻想的なイメェジは強まります。メルヘンな感じ。

月の光だけで撮影するなんぞ、ものすごい根気を必要とするだろうに、それを追求してしまう石川さんに脱帽です。
作品数もそこまで多くなくて、小ぢんまりとしたいい展覧会でした。
こういう、どうしても単調になりがちな作品の展示会の構成を考えるのって、思いのほか難しそうだなぁと思いながら見てました。
飽きさせない、というところに苦心してそうな気がする。
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by ling-mu.m | 2006-08-25 00:24 | アート的な
ハチミツとクローバー
映画「ハチミツとクローバー」を観て来ました。
バイト先でタダ券を貰い、川崎のチネチッタで観たため、お金はかかっておりません(定期代で一応かかってはいるけどもね)。
お金なんてかけられません。こんなもの!

いやー、もうクソつまんなかった。くっそつまんねかったよ、ホントに。びっくりした。
脚本が最低。
それにつきる気がする。

伊勢谷友介は格好良かった。蒼井優は可愛かった。
堺雅人も、まぁまぁキャラに合ってた。関めぐみも、それなりに美人だった。加瀬亮も、以前ほどダメダメな演技はしてなかった。
櫻井翔は、所詮 櫻井翔でしかなかった。
それでも、しかし それでも、目を潰れる程度だ。ヤツが映画を台無しにしているという程のことはない。というか、竹本くんがそこまでの重要人物として扱われていない。
みんなを主役にしようとした辺りが、敗因。
確かに原作の構成ではそうなんだけど、みんなにスポットが当たっていてみんな大事な主役なんだけど、2時間の映画でそれをやるのは、無理。無茶。
そんだけの脚本が書けてりゃいいけど、書けてないもん。
誰だよ脚本…て、今クレジット見てみたけど、河原雅彦て。あの河原雅彦? ともさかりえ の旦那の? 同姓同名ではなく? こんな仕事もしてんの?
まぁ、それが何処の誰であろうと、駄目なのに変わりはないけど。

竹本くんが自転車で走り出した時は驚きましたよ。そのエピソード入れちゃう!? 今から稚内まで行っちゃう!? て。
したら、なんてことはないじゃないか。一晩で帰ってきやがったじゃないか。何だソレ。意味ないじゃん。中村シドウ(漢字にするのすら億劫だ!)の役どころなんて、まぁ とってつけたような…。
ホントにさーもうさー。
原作に愛があんのか? ていう作りじゃないですか。
キャスト・スタッフが豪華なだけに、勿体ないこと この上ない。全くもって意味がない。
何がしたくて作ったんですか この映画。金儲けですか。それならそれでスッキリするけど。何か伝えたいことがあったとか言ったら、怒るよ。

そんで、原作を読んでる者としては、そこまでのファンではないとは言え、やっぱりキャラがいじくられてる辺りも、気になってしまう訳だよね、やはりね…。
森田さんがさー。
ピアスなんかしないよう。
そこだけは…ミスキャストでないかーい? と、言いたい。
伊勢谷友介とはまた別のオーラの持ち主でしょうよ森田さんは。格好良い人スクリーンいっぱいに見れたから、まぁ いいんだけどね。

蒼井優の可愛さはたまりませんなー。大好きだ!
着てる服もイチイチ可愛くて好き。

堺雅人は、いつも思うけど顔は決してよくないよねぇ…何で人気 出たんだろう。
嫌いじゃないですけど。

堀部圭スケ(ケイイチ?)は、単純に面白くてよかったです。役者 続けられてんだね。

音楽・菅野よう子は、ゼイタクだよな、と思わざるを得ない。
主題歌・スピッツと共に。スピッツなんて、ホント意味を成してないじゃない・・・オマケみたいな扱いじゃない。嵐の歌とかホント要らないし。何だろうねこのタイアップの無駄さ。悔しくなるわ。




はやくゲド観に行こう。
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by ling-mu.m | 2006-08-18 23:57 | 映画
ナツヤスミだねぇ
気付けば八月も折り返し。
立秋も過ぎましてお盆も終わりまして甲子園も八強まで決まりまして、夏は佳境、といったところでしょうか。
まぁ夏休みはあとひと月半もある訳ですが。気付いたら終わってんだろうな。


花火はしてないし見に行ってもないが、海には行きましたよ。泳ぎましたよ。日に焼けましたよ。
楽しかったな。
夏っぽいことできてれば、そんなに嫌いじゃない季節なのかもしれない。と思いました。
夜の海辺で流れ星たくさん見たよ。いいことあるといいな。


今日はバイト休みで予定もナシで、てことで甲子園を見る日。
早実を応援せねばと早起きしたものの、結局テレビの前で毛布にくるまって寝っ転がってたら、睡魔に負けた。そりゃそうか。
カキィンという音がする度に目を開けてはいたものの、気付いたらピッチャー斉藤が涼しい顔してインタビュー受けてました。
タオルで汗拭く甲子園球児なんてそうそう いないよね。
我が家では おぼっちまんくん と呼ばれております。主に母に。
さて、何処まで ねばれるかな。
個人的に、決勝戦が東東京 対 西東京になったら何かつまんないな。と思っているのですが、さて どうだろう。まぁ、雰囲気で言ってますけどね。

二試合目はしっかり起きて見ましたが、いやぁ、焦らしに焦らしてくれたね。今治西 対 日大山形。
もーホント泣きそうになりながら見てたさ。ドキドキしちゃうもんね。
今治西が勝つと思ってんけどなぁ。諦めなかったな山形。
ピッチャーもバッターもえらいプレッシャーなんだろうね。野球って仲間が遠いしさぁ。ある意味、孤独な戦いだよねぇ。

しかし、選手らホームラン打ち過ぎですな。もう大会タイ記録だっけ。新記録つくってんだっけ。凄いなー。
明日もパカパカ打つんだろうか。
バイトの休憩中、人の目を盗んでは甲子園にチャンネルかえてるのはアタシです。
あー決勝戦もバイトだなー嫌だなー。かぶりつきで見たいのにな。


夏のテレビでは、高校生クイズと鳥人間コンテストも好きです。
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by ling-mu.m | 2006-08-17 00:58 | 日々
噂の男
生協まで出向いてコンタクトを購入後、学校図書館に寄ろうとしたら軒並み休みで(お盆前なんだからやってろよ!)、仕方なく周辺の本屋をぶらついたあと、目的地の渋谷まで行ってしまって、金曜夕方の雑踏の中ゆっくりめに歩いたにも関わらず、パルコ劇場に開場五分前には着いてしまいました。早。でも既に来てる人は予想以上に多。当日券でもないのに何故。

で、観て来たのは福島三郎・作、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「噂の男」。
脚本の福島氏についてはアタシは全く知らず、名前すら知らない人の書いた作品を観に行く、というのも、そう言えば久しくなかったなぁと観劇後に気付きました。いかに狭い観劇の仕方をしているか、ということにも繋がりますな・・・反省。
ケラさんが演出して八嶋智人と山内圭哉と橋本じゅんが出る、しかもパルコ、てことでチケットを取ったのですが、いやぁ、面白かったです。

関西の演芸場の舞台袖、階段をのぼれば(お芝居上の)舞台の下手、階段下にはボイラー室への扉。(実際の)上手にはホワイエに通じる扉・・・・・・て、うん、なかなか面倒くさいな説明しようとすると。な。
ま、とにかく舞台に立つお笑い芸人たちとその周辺の人間の悲喜こもごも、という話。
ダークで毒っ気のある台詞や話運びは、何処かしらケラさんに通じるものがあるように思えました。割と筋道だっている辺りは長塚氏っぽくもあるかな、とも思うけど。
何にしろ、結構 好みの芝居でした。

ボンちゃん(山内)は、彼より先輩の筈なのに腰の低いトシ(猪岐英人)の妻で相方のアヤメ(水野顕子)と、旦那公認のもと出番前にヤッてるような売れっ子芸人。
売れるためなら手段を選ばないのか、彼は演芸場の支配人・鈴木(堺雅人)とも関係を持つ。
その鈴木は、業界に入った当時「パンストキッチン」というお笑いコンビのマネージャーをやっていた。飛ぶ鳥を落とす勢いだったコンビはしかし、ボケだったアキラの事故死により事実上、消滅。
残された相方のモッシャン(橋本じゅん)は、一人で仕事を続けていたようだが、数日前から行方不明。
アキラの12年目の命日に、ボイラー技師・加藤(八嶋)が演芸場のボイラー室を訪ねたことにより、過去の出来事が明るみになっていく。

サスペンス調のちょっぴりだけヒューマンドラマ。という感じでしょうか。コメディ、と言うにはダークだし、シリアスかと言えばそんなこともないのだが。まぁ、要はいい塩梅で。
ボイラー室を構えた舞台袖、という同じ場所を軸に、時間は現在と過去を行き来する。
無害に思われた人々が何かしらの罪を持ち、恨みを持ち、隠しに隠した、抑えに抑えたそれが噴出して描かれた地獄絵図。
舞台は関西、ということもあり、台詞は関西弁でした。それが新鮮でキモチイイ。堺以外はネイティブなのでしょうね、勢いも凄いものがある。
堺だけは標準語で、無理をしない、というのもあるのだろうが、お笑い、という輪の中には存在しない、外からそれを見つめる立場というものを明確にする役割も果しているのだと思う。

実際に消えて見なくなった芸人の名前を挙げるシビアさがいい。きっと それってテレビじゃタブーだから舞台ならではのものだし。
演技力は二重丸の人ばかりだから(堺はそうでもないか、と思っていたけど意外にいい芝居をしていたように思う。見劣りすることはなかった)、すごく安心して見れるし。

八嶋が、ぎゃんぎゃん煩いんだけど根っこに暗い恨みを持つ役を好演していたのが印象的。
濡れ衣を着せられた親父の復讐だ、と言ってホッシャンをギタンギタンにしようとするあたりは、その切実さが胸にきて痛かった。
これでもか、というほどに傍若無人だったホッシャンが、今となっては半ばキチガイの廃老人になっている姿が、涙を誘う。で、また、それがラストの実は正気でした、というシィンとのギャップで嫌ぁな気分にさせられるところが、また。うわぁ、やられたわぁ・・・という脱力感と苦さを誘う。
最後まで見てみれば一番まともな人間だったかもしれないボンちゃんを山内が演じている、というのも、なかなか興味深いキャスティングだと思う。理性の人、という感じではないから。

色んな人の想いが交錯して、すれ違って、しかも人間の気持ちって多面的で決してひとつに決まるものじゃないんだ、という事実が切ない。
どれが本音でどれが建前で、と言うことすらできない複雑さと気まぐれさを抱えている。

その点、加藤の気持ちは一番スカッと筋が通っていて、だからこそ彼の復讐が果されなかったこと、ホッシャンをボコボコにしながらも気持ちが晴れなかった姿は、悲しいものがある。
鈴木も、アキラを信じていたという点では真っ直ぐだったか。しかし、その真っ直ぐさが彼を不幸にしているのだよねぇ。可愛そうな人です。

お互いに、相方によって支えられていると考えていたパンキチの二人。
面白いのは自分じゃない、相方なんだ、と考えていた二人。
ものすごい不安の中で、活動していたのだろうし、生き残ってしまったホッシャンは、そりゃあもう辛かったろう。
しかしまぁ、一番 図太かったのも結局はこの人なのかもしれないけど。

他人に笑いを与える人間の舞台裏、というのは、なかなかに気持ちのよくないものでございましたよ。

二時間半で休憩ナシは辛かったけど、充実していたからまぁヨシ。
ケラさん脚本じゃないけど長かったなぁ。
若くして死んだコンビ芸人の片方の死因と享年を途中で字幕出しするのは、要らん演出のように思えた。何かシラけるのは、アタシが彼らの殆どを知らないがためか? 知ってる人なら、懐かしさと切なさを思い起こさせるものだったのかしらん。だったら あってもいいのかもしれん・・・。
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by ling-mu.m | 2006-08-12 00:40 | 芝居/舞台
蜜の味
日曜日、北仲WHITE内のペピンポートにて、ペピン結構設計アトリエ公演「蜜の味」を観劇。
馬車道の整備具合とか夕方の閑散とした雰囲気とかが、なかなか好みで小さく浮かれる。北仲WHITEの建物も素敵。ごちゃごちゃしたナンデモアリ感が、よいね。

慶應大学SFC出身の人々による劇団。慶應系(というものが果たしてあるのかどうかすら分からないが)の芝居を観るのは初めてです。メンバーは卒業して それぞれ社会人やってる、というのもあり、その特色というものが(あるとして)、出てるかどうかは、どうなのかしらん。慶應の他の芝居を観てみたら、分かるのかもしれません。

アトリエ公演のため、完全予約制。キャパちっちゃい。50人・・・は、入れない、かな。どうだろ。
テラスみたいのんが客席用に設えられてて、扇風機が回ってる。ドライアイスも配られました。要は、暑いハコだった、ということ。


舞台は海の近くの田舎の町。人体に悪影響を与える飲み物だというんで、コーラの売買が条例により禁止され、徐々にコーラが姿を消す中で、コーラ屋を営む清子と ときえ姉妹。
二人のもとに、行方不明になっていた兄・安治が突如として帰ってくる。
店の常連の島田兄弟。店にコーラを卸している じゃこ。安治の幼馴染、リリー。
ちっちゃい町の、ちっちゃい店の、ちっちゃい夏の出来事。

とても、分かりやすい話だった。かと言って単純だという訳ではなく、いくつかの小道具が伏線として うまく使われていて、なかなか飽きない。面白く観れたと思う。
物語が発露していた、いくつかのこと。
兄弟愛。嫉妬。夢。現実。逃げるということ。
どれも身近で、身に覚えのある ことごと。切実に感じられること。

しかし、いささか散りばめすぎでは? という感は否めない。
どれも同等に扱われてしまって、メリハリが見えない。どれを大事に受け止めていいのか分からない。
全体的に、直球に見せかけて実は手元で落ちる、といった台詞が多い中で、要旨と思われるものを語るときの それは、とても素直な真っ直ぐで、そのせいか、どうしても軽く、言ってしまえば陳腐に思える。
何でここをストレートで投げちゃう? みたいな、肩透かし。

現実の出来事の合間に挟まる、夢とか妄想とか、そういうシィンの表し方・つなげ方は非常にうまいな、と思ったのだけど。
最初の二十分くらいの印象で、これは小説で読みたい話かもしれない、と思ったのだけど、夢やら妄想やらの、そういう演出はやはり舞台ならではのものだから、そこらへんを もう少し、うまいことやってくれたらなぁ、という物足りなさを感じた。



帰り道、東横線の馬車道駅。改札に降りる前のだだっ広いコンコースに、見渡す限り人がいなくて、自分ひとりきりで、日曜とは言えまだ22時ですけど、と思いながら、妙に楽しくなってしまった。
人のいないところに、行きたいなぁ。
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by ling-mu.m | 2006-08-08 23:33 | 芝居/舞台
Dialog in the Dark 2006 Tokyo
以前にも書きました「Dialog in the Dark 2006 Tokyo」を、南青山の梅窓院祖師堂ホールにて、体験してきました。

会場前の道に置かれているサイン。このタイトルデザイン、好きなのだ。
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展覧会概要も書かれてて、「おっ」と思ったら立ち寄れる感覚が、よいね。まぁ、あんまり目立つ感じに置かれているサインではないのだが。
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ここ、まず場所がいい。大通りから一歩 入った路地に静かに佇んでる建物は、竹がちょうどよく配された外観が涼しげです。全体的に落ち着いた爽やかさ、という印象。

中に入るとチケット提示と身分証確認。何かあった時の保険料が代金の中に含まれているからだと思われます。万が一、てことがあることを考慮しているのでしょうな。

「まっくら展覧会」の中身はというと、真っ暗でまったく何も見えない空間を、白杖を持って歩きましょう、というもの。いちユニット8人。
視覚障害者の方がアテンドに付いてくれます。
皆さんこっちですよ、ここに何かがありますよ、まだ階段を昇りきってない人はいますか、そういう声をかけてくれる役目の人です。

歩いた空間がどういうものか、というのは、正直コレを読んだ人には全員、DIDに参加して欲しいので、ネタバレになるようなことは書きたくない・・・。
(いや、コレはね、一回 体験してみるのがいいと思うよ。単純に、面白いから。深いこと抜きで)

感想をちょびっと言うと、思ってた以上にバラエティに富んだプログラムでした。川があって橋を渡る、ぐらいは想定できてたけど(てか、何かで読んだんだな多分)。
暗闇で、本当に何も見えなくて、方々であがる声だけが頼りで、全然 知らない人と声を掛け合いながら、時には手を取って導いて貰ったりあげたりしながら、道を進む。
まさしく「Dialog」な体験。なるほどね~。

ところどころで音がする、匂いがする、足元の感触が変わる、そういうことに酷く敏感になります。否応なく。
普段も別にそういう感覚を疎かにしているつもりはないけど、でも、視覚情報がない、て状態でも、何だか意外に動けてしまうことが、驚き。
勿論、絶対的な安全性を保障されている場所でのたった4・50分の経験、しかも実際に自分の目が見えなくなったんでも何でもない、プログラムが終われば いつもと同じ明るい日差しの中に帰っていく、というのが現実ですけどね。
でも、そういう真面目な考え込み抜きで、ちょっと違う世界を覗けた、ていう嬉しさがある。これ、大事だと思うね。

是非、何度も足を運びたいアトラクション(そう、そういう感じ。そういうワクワク)ですよ。
一緒に歩く人やアテンドの人が違えば、きっと また違う顔が見えてくるのだろうし・・・つくづく、人ありきの企画だな、と思います。うむ。
ちなみに今回は友人2人と行ったので、ウチら3人+全く知らない方々5人。年令は高めでした。おじちゃんおばちゃん。
アテンドに付いてくれた ちくわくん、こと伊藤さんは、見た目は若そうな男の人です。折り畳み式の白杖を持ってて、なるほど普段の生活に持ち歩くには一本そのままの長さじゃあまりに不便だな、と思いました。


しかし、このプログラムを企業研修なんかで使ってるというのだが、果たして、どんな効果を期待され、どう役に立っているのか…気になるところですな。
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by ling-mu.m | 2006-08-03 22:18 | アート的な