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敦-山月記・名人伝-/信長
バイトが休みで学校もなくて家に一人。
という好条件の元、もう大分 前に撮って放置してあった芝居のビデオを消費しようと思い。
世田パブでやった「敦-山月記・名人伝-」を観ようと。
したのだけど。
・・・眠くて眠くて仕方ないのでものの十分で諦めました。
割に静かな芝居のせいかなーと思い、またの機会に託すことに。
中島 敦の「山月記」と「名人伝」を、中島の人柄・生涯を交えつつ上演するこの作品、実はチケットを取りつつ具合を悪くして行けなかったという個人的いわく付きのもの。
いずれ ゆっくり観ようと思います。
「山月記」は中学生の時に国語の教科書で読んだのだけど、ものすごく、何と言うか、身につまされて、心揺さぶられながら読んだのを覚えている。
李稜はアタシだなぁ、と。
以前 知人が同じようなことを思ったと聞いたことがあり、誰しも そう思う部分はあるのかもしれない。
だからこそ教科書にも載るのだろうね。


その後、洗濯をして犬の散歩をして、何となく時間を過ごしつつテレビをつけたら市川海老蔵が主演の「信長」がやってまして。BS-2かな。
コレ、確か田辺誠一が出てるヤツだーと思い、第一部の途中からですが観ておりました。
田辺さんは明智光秀役で、虎視眈々と信長を陥れる時機を見計らっているのかと思いきや、深く信長に心酔している、忠実な家臣で。
羽柴秀吉に比べると、やはり洗練されていて如何にもインテリという感じなのだけど、しかし信長を慕う気持ちは泥臭くて人間味があり、非常に良いキャラクタァで描かれている。
誠実な男が、果たしてどう信長を裏切ることになるのか?
と、展開にドキドキしながら観ていた訳です。
が。
…あと二十分、というところで寝てしまった・・・。
横になったのが仇となり、気付けば番組が変わり、目前には寝息を立てる犬が。
ひぃちゃん、お姉ちゃんは一緒にお昼寝がしたい訳じゃなかったんだよ。
結局、光秀が信長をどう欺いたのか、あるいは欺かなかったのか、終末は分からずじまいで、大変に悔しい思いをしましたとさ。ちぇ。
海老蔵 演じる信長は、自分が天下を治め戦乱を静め、この世に平安をもたらそうとする、一見 平和主義なキャラクタァで描かれている。
しかし、その思いはやがて暴走し、無茶な戦が重ねられ、彼のやり方に戸惑う家臣は信長を狂気の人のように見る。
光秀もその過程において「自分は上様が怖い」と言い出すので、信長が光秀によって本能寺で焼かれたという結末だったとしたなら、光秀の苦渋の決断、のように書かれていたのだろうか。
くそう、気になる・・・。
寝てしまっといて言えた義理じゃありませんが、非常に面白い筋書きの芝居でした。脚本は誰だらう。
国立劇場でやったのだったか、客席は年配の方が多いように見受けられました。
カメラワァクが非常に気に入らなかったのが残念です。
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by ling-mu.m | 2006-04-30 01:03 | 芝居/舞台
貯金分があったらしい
帰宅ラッシュに揉まれながら学校から帰ってきて、相変わらず簡単に腐ってみたのですが、電車を降りて歩く道々、こんなことで挫けてちゃいかんよ君、と思ったら、気持ちが上向きになりました。
自分にしては珍しい現象で、ちったぁ強くなれてるということか。と、ほくそ笑んだりしてみる訳です。
落ちないように落ちないように。

ちょうど良いようなタイミングで流れてました曲がこちら。
矢野絢子の「一人の歌」。


  あなたがどんなに悲しくても 僕にそれは伝わらない
  あなたの視界が歪んでも それはあなたの世界だもの
  僕はここに立っていて 前を向いて立っていて
  それだけで精一杯 微笑むことで精一杯

  いつかまた明日にでも 僕が傷つき転んでも
  その痛みは僕のもの 他の誰にも伝わらない
  あなたがそこにいなくても きっと僕は立ち上がるだろう
  あなたが何処かで歩いてるから 僕もまた歩き出すだろう

  悲しい悲しい悲しいんだね
  悲しい悲しい悲しいよね
  こんなにどんなに泣いても 消えることない哀しみさ

  悲しい悲しい悲しいんだね
  悲しい悲しい悲しいよね
  こんなにどんなに泣いても こんなにどんなに泣いても
  消えることない哀しみさ 消えることない哀しみさ

  諦めきれないことがあるから 諦めきれないことがあるから
  諦めきれないことがあるのさ 諦めきれないことがあるのさ

  今日の夕焼け空あなたは見たかな

  諦めきれないことがあるのさ 諦めきれないことがあるのさ
  諦めきれないことがあるから 諦めきれないことがあるから


ベストマッチ!! という訳ではないが、しかし なかなか心に染み入るタイミングでありました。
ありがとう矢野さん。
歌詞の中にある「あなた」のような存在は自分の中には いないあたりが少し痛いが、まぁそれはそれとして。
聞き取りなので、漢字など書き方はアタシの趣味です悪しからず。
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by ling-mu.m | 2006-04-17 22:34 | 音楽
熱中ナントカに
片桐仁が出てたんだけど熱中・・・なんだっけかやぁ。BS-2でした。
どうしても情熱大陸と間違えてしまって番組名が覚えられない。
初めて見たけど、やっくんとか平山あやが変な衣装を着てておかしかったです。

片桐さんはガンプラのジャンク・パーツでお得意の顔を作ってました。
最終的には宇宙要塞になってた。
楽しそうで良かった。
お母さんかアタシは。

彫刻家・片桐の側面は今まであまり注目したことがなかったのだけど、こういうチマチマとしたことに一人で没頭することで、人前に出て芝居なりコントなりをする自分とのバランスを保っているのでしょうかね。
ワンダーフェスティバルで来場者に作品を見せている時の一般人ぽさが好きでした。

番組中で着ていたカーディガンが「日曜日のお父さん」ぽくて気持ち悪いなと思いました。
突飛な柄や色なんだけど、なんか着こなしがなってなかった。もっと頑張れ片桐。
秋葉原に行った時のカラフルなジャケットは可愛い。妹さんが「色々マン」と言って喜んでた。
左手薬指にしていた指輪が割にゴツくて結婚指輪っぽくなかったのだけど、もしや手作りか。


KKPのチケットは何かもう面倒くさくてチケット争奪戦に参加する気も起こらないので、大人しくDVDになるのを待つことにします。
諦めることも大事なのだと最近 学んだ。取れなくて腹を立てるのにはもう疲れました。
五月には「アリス」のDVDが出ますね。バニーボーイの小林さんはアイラインが気持ち悪い。

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新学期さえなければ春は大好きなんだけどな。
でも今年はいまだに寒くて全然スプリング気分に浸れないので、非常にやりきれない。
何処に幸せを求めればいいのやら。
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by ling-mu.m | 2006-04-14 22:43 | ラーメンズ
マンドラゴラの降る沼
髪を切って桜木町をプラプラしてから、コントライブに行ってきました。
意味もなくバイトを一週間休みにしたら時間がすごくあることを知って感動してます。
一週間て長いな~。稼がにゃいかんと分かりつつも、たまには休養を与えてあげましょう、ということで。
来週からは学校 行きつつバイトだから疲れるだろうなーああ嫌だ。

平日午後の桜木町は人がまばらで良いですな。普段は滅多に行かないんだけども。
横浜の人ごみが嫌でふらっと行ってみたんだけど、正解でした。
夕方の、雨にけぶる街の光がキレイで、久し振りに雨でもいいかも、という思いを抱く。
あんまりギラギラしてない感じが、郷愁を誘います。

で、桜木町を発って蒲田経由で東急池上線(初めて乗った。車両 少なー。赤電みたい)にて池上本門寺へ。
境内に建てられた特設テント内で、シティボーイズ ミックス「マンドラゴラの降る沼」を観て参りました。

突如 思い立ってチケットを取ったのだけど、思うにアタシのお笑いの原点はこの人たちにあるのかもしれない。
幼い頃から(テレビでだけど)ライブを見続けてきたグループは他にいないし、コント好きが高じてラーメンズが好きなのも、元をたどれば彼らなのかもしれないぞ、と。
そして今回はアタシの中でのゴールデンメンバーである中村有志といとうせいこうがゲストということもあり、気持ちが向いたんじゃないかしら。

今更だけど、彼らのライブを見れて東京に来てるんだなーと思いました。

特設テント、しかし雨、寒い、どうなの?
と不安にもなりましたが、流石に設備はちゃんとしてるし、マイク使ってるから雨の音でかき消されるなんてこともなく、終始 楽しんで観れました。
寒かったしパイプ椅子は辛かったけど。でも入口でホッカイロ配ってくれた心遣いが嬉しい。使わなかったけど。
席は観やすく組んであるなと思った(自分の前が通路だったので前に人がいるとどうなのか分かりませんが)。
完全暗転にならないのと、開演後に客席下でガシャガシャ音がしてたのが残念です。

おじさんたちが頑張ってた。
これ以上ないってぐらいに噛んでたけど、まぁ もともと噛みやすい人たちだしコントだし噛んでも面白いから、いいや。
全力 振り絞ってやってるんだけど、たまに空回り。というのも、(年齢的にもグループとしても)年を重ねた人たちのご愛嬌かな、と思えます。
大分 大きな心で見れたのは、しかしやはり根底に、ネタがしっかりちゃんと面白い、という保障があるからだと思う。
観客の目も温かいしね(それにしても笑い過ぎだ、と大竹さんに言われてましたが)。

テントが真っ盛りだった頃の雰囲気と言うのは多分 少しもなくて(アングラっぽいことネタにしてるコントはあったけれども)、何でわざわざテントにしたのかな、と思うところはあります。
金も手間もかかるだろうに。客も95段の階段を登っていかにゃいけんし。
暖かくて桜が見頃で、という好条件が揃えば、いい会場だったのかもしれません。
でもまぁ、こういう催しをさせてくれるお寺がある、という認識が大事なのがな。
日蓮宗総本山でやっちゃうんだから、ある意味 ハクはつきますよね。必要不必要は別として。

来年もゲストがこの二人だったら観に行こうかなー。
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by ling-mu.m | 2006-04-11 23:43 | 芝居/舞台
酒神 デュオニュソス
NHK教育の「芸術劇場」でやってたのを観る。
最初から番組を見てたらTIF演目の「カリラ・ワ・ディムナ」が紹介されてて、既に懐かしい体育館やら1の1やら横川さんやらが映って嬉しくなる。
1の1は、今はもう跡形もないのだなぁ。

この春休み期間、某所で度々 話題にのぼったSPACおよび鈴木忠志。
自分の中で情報が新鮮だと言うこともあり、時間も一時間と短いようだし観てみる気になる。

エウリピデス原作のギリシャ悲劇。
鈴木忠志は外国人を使って何度もやったことのある芝居のようだが、全部 日本人でやるのは初めてなんだとか。
日本の古典芸能を前面に押し出した演出。
熱い。
おそらく、ざくっと原作を切っているのだろうが、かなりシンプルな話になっていた。

そんなに集中しながら観ていた訳ではないので、あんまり大した感想はないんだけど、自分は好きな演出じゃないと思った。
なんとも熱血な、肩に力の入った感じで、疲れる。
声の低い人が声を合わせて喋られると何を言ってるか分からなくなるから嫌いだ、ということも発見した。
よっぽどちゃんと合ってるんじゃなきゃ、ちょっと込み入ったことを言われるともう理解できなくなる。
自分があんまり耳がよくない、というのもあるんだけど。

始終 緊張感のある舞台で、観客にとっては限界だな、という時間で終わるのは有難い。
短いからこその熱さ全開なのだろうか。だとすれば納得はいくし疲れるのは自分の責任、とも思うが。さて。


夕方、随分 前に撮って放置してあった「スタジオパークからこんにちわ」を見た。長塚圭史がゲストの回。
とても不愉快な気分になった。何だあの司会者は。気持ちの悪い。
京三さんと並んでいる映像を見て、初めてこの人達は似ているのかも、と思った。目が似てる。
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by ling-mu.m | 2006-04-11 02:25 | 芝居/舞台
カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝
普段からKERAが好きだーと言っている割に実は初めて観に行ってきましたNYLON100℃
まぁ芝居を観るようになってまだ日が浅いから仕方ないのだ。
場所はこれまたアタシの好きな本多劇場だよわぁい。
席が互い違いになってなかろうが気にしません(え?)。

「カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝」は9年前に書かれた、KERAの私戯曲、らしいですね。ホントかしら。
中身がどうとかもう気にしないでチケットを取ってしまう(勇みすぎてダブって取っちゃったので必死に少ない友人に打診して買って貰った)ぐらいにケラ(何で今までローマ字表記してきたんだろう、と、こないだ不思議に感じたのを思い出したのでカタカナ表記にします)が好きな人なので、芝居が始まってから、あー大倉孝二ナマで観るの初めてだなとか小松和重 出てんじゃんとか気付きましてアラアラ。

大倉孝二でかー。
プロフィール調べたら187cmですってデカー。ほそー。
大倉孝二の魅力って何だろうなぁ、と考えてみるけどうまく出てこない。
すごく好きなんだけど何だろうなぁ。
情けない男が全身で演じられるところかしら。
あと、二枚目でもブサイクでもない微妙な顔? 首から下はイイオトコな感じのアンバランスさ?
幸せじゃなさそうな顔してるからかな。

義彦(大倉)は呆けた父親(山崎 一)、おっとりした妻・利江(峯村リエ)と思春期の娘・奈津子(馬渕英俚可)と共に暮らす一家の大黒柱である。家には更に、医大を目指して七浪中の甥・浩一(小松)を居候させている。
時代は昭和、「おれたちひょうきん族」が世を賑わせ、彼らの家にはテレビも電話もあるがクーラーはない。
呆けた父を愛し、妻と娘を愛する、実直で真面目な男を、大倉が好演。中途半端な切れっぷりも良い。怒ってもちゃぶ台をひっくり返せないお父さん。
義彦の父は厳格で怒りっぽい男だった。理由もなく手を上げ、怒鳴り散らす。
そんなだった父は、「自分に素直になった」分、子供のような人になってしまった。
心配した家族に病院への通院をさせられ、やがては入院することになる。
が、彼の頭の中で、海辺の真っ白な病院に強制入院させられた自分は、そこで出会った入院患者たちと病院脱出を企てる。
が、医者や看護婦に扮したガンパンパ星人が、それを阻もうとする。

祖父の空想と義彦の家、二重構造で話は進むが、ふたつの世界を繋いでいる不思議な存在がみのすけ(みのすけ)という若者。
自分が義彦の息子のように振舞う彼の姿が見える者は誰もいない。おそらく、祖父にも見えていない。
祖父と同じ名を持つ彼が、病院の中で仲間と交流しガンパンパ星人と戦う。

体系だてて説明しようとすると、なかなか難しい世界。いつも通りですね。
理屈づけて考えることを拒否している、それがケラの書くものな気がする。
やりたいホーダイやって、突拍子がないし脈絡がないし中身もないし無駄に長いし、観客に親切じゃないなぁと思う。
が、それでも余りある魅力を、持っているんだから凄いですよね。

今回のは本当に中身がなかった。クライマックスのカタルシスなんてある筈がなく、キレイに終わらせる気がないだろう、と言いたくなるほどに投げたオチだった。
もういっそ清々しいです、ここまでやられると。
あーバカバカしかったー。て言いながら帰れる気軽さ。
しかし、あそこのシィンの義彦の優しさとかあそこのシィンの利江の寂しさとか、しんみりと思い出されるものが あるんだからズルイよね。

ああまったく人の人生なんてこんな風に語られる程度に軽くてどーでもいいものなのかもしれませんよ。
そう思えば気が楽だ。
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by ling-mu.m | 2006-04-10 02:32 | 芝居/舞台
ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団
ちょっと前のことになってしまいましたが、友に誘われ国立劇場まで行って来ました。
ピナ・バウシュ来日二十周年記念公演。
演目は「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」。

国立劇場は初めて行きましたが、何ともナンセンスな造り。
普段の演目が歌舞伎やら能やら日本の伝統演芸なので違和感がないのだろうが、それにしてもあまりに「古いまんま」と感じました。
狙った古さでもないからダサいだけだなー、と。
客席の傾斜も大してないし席は互い違いになってないし、見上げればちょうちんが吊ってあるし、ちょっとなぁ。
他と一線を画していて面白いけど、直すべきところはあるだろうと思う。


毎度アタマを悩ますダンス公演、今回は海外の巨匠の作品ということで、己がどう感じるのか楽しみに行ってまいりました。

第一部の「カフェ・ミュラー」は、並べられた椅子の中を目を閉じた女が歩いてゆく、その行く手にある椅子を必死の形相でなぎ倒す男、というのが主なモチィフ、なのかな。
予備知識ナシで行きましたから、それがどういう作品かも知らないので、目の前で展開されているものに勝手にストーリィ付けをする。
舞台の手前で踊る若い女とシンクロするように、舞台の奥手でピナが踊る。
痩せすぎた、まさに骨と皮だけのような細すぎる体躯に薄いワンピィス一枚で踊る。
それは、昔の出来事を、老女が回想しているような様。

と、思っていたが途中で物語を考えるのが難しくなったので放棄しました。
目の前で繰り広げられている光景をただ単純に心に捉える、それはやはり困難を伴うものです。


25分の休憩を挟んで第二部は「春の祭典」。
長い休憩は何のためにあるかと言えば、やはり仕込みのためなのでしょう。
椅子その他の小道具が片付けられ、何もなくなった舞台に撒かれるのは土。
焦げ茶色い土が敷かれ上下にはスポットライトが並べられ、第一部とはまるで違う有様。
いや、なかなか圧巻でした この仕込み。

そして始まった舞台は、とても、とても素晴らしかった。
二十人強(多分)の男女によって、おそらくは豊穣と春到来を喜ぶような(これもまた勉強不足でして・・・)カァニバルの仰々しさと荒々しさが表現される。
それは、あまりにもダイナミックかつ力強くて躍動的。
走る、飛ぶ、跳ねる、転がる、踊る踊る踊る。

祭典の中で少女が生贄として(おそらくは神に?)捧げられるのだけど、赤い布を手に手に少女たちが順繰りに一人の男のもとへ行き、恐れおののきながら布をさし出しては手を引っ込め、少女たちの輪の中に帰ってくる。
何人かが繰り返し、とりわけ小さな女の子が、遂に布を持つその手を掴まれ、実は赤いワンピィスだったそれを着させられ、彼女は一人 激しく踊り出す。

アタシは初めてダンスで感動したんだと思います。
人間の肉体とか身体能力とか、そういうものを超えて(あるいは全てひっくるめて)、目の当たりにしてるもの全部が素晴らしい、ブラボーだな、と。
今までで一番 素直に思えたのが、この「春の祭典」だったように思います。
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by ling-mu.m | 2006-04-10 00:56 | 芝居/舞台
東海道四谷怪談
母が行きたがったので一緒に観て来ましたコクーン歌舞伎「東海道四谷怪談」。
コクーンで隣合った客のマナーが良かったためしがねぇ。

お金ケチってA席かなんかにしたら二階席で案の定 遠くて、母に怒られました。
ごめんよママン。いつか桟敷席で観せてあげるさ。

鶴屋南北が原作の「東海道四谷怪談」、当然 読んだことはなく、アタシの中では京極夏彦の「嗤う伊右衛門」(新歓の時に知り合った人に貸したっきり返ってこないや・・・もう一冊 買おうかしら)で世界観はガッチリ固められておりました。
お岩さんは頑固でいじけた気の強い女、伊右衛門は無口で不器用な硬派。
お互いを心底から愛していたのに、結局 添い遂げることはできなかった悲恋。

ところがどっこい、原作からは結構 離れて一人歩きしていたのですな、と判明。
何せ伊右衛門がクソ根性の悪い男で、人を殺しまくるんだから堪らない。
そうして殺された者が皆、伊右衛門 憎しうらめしや、と言って化けて出るのだからまさに怪談。
お岩さんは、木村屋と伊右衛門の犠牲者という立場でやはり同情をせずにはいられないお人だけども、伊右衛門に対して強く出られないあたりが都合のいい女っぽくて、嫌だ。
そういう人が死んで尚 化けて出て恨めしい旦那をたたってやろう、という姿勢を描くことによって、女の鬱憤を晴らさせようだとか女の真の恐ろしさなんかを表しているのかもしれないが。

契った女が実は血を分けた妹だった、という挿話があるのだけど(直助と、お岩の妹・お袖)、そういう話って昔から支持されてたんだ、て思った。
禁断に弱いのはアダムとイブを先祖に持つ人間の性かな。キリスト教の話ですけど。でも、そういう話が生まれること事態に表れてるんだろうね、禁じられてることをしたい・見たい願望。
許されざる恋が素敵、という思いがなければ、ロミジュリが未だに上演されることもない訳で。

嫉妬に狂って死んだ岩、若い女を手に入れたくて岩をソデにした伊右衛門、自分の娘可愛さに岩に毒を盛った木村屋、今も何処にでもいそうな人間ばかり出てくる。
根本はきっと何にも変わっちゃいないんだ、江戸も平成も。
不思議な話だけどねぇ。

パンフを見て驚いたのが(もの知らずがバレますが)、歌舞伎って一人で何役もやるのだねぇ。
勘三郎が同じ場でほぼ二人の人物を演じてて、裏ではきっと超早着替えが行われていたのだろうなと思うのだけど、やっぱりそれが普通なんだろうか。
そして場を変えると同じ人物を違う人が演じていたり(弱ダブルキャストみたいな)、相当 変則的で驚いた。
きっとそういう伝統があるから今でも同じように演じられているのだろうけど、これは演劇の手法としてはかなり変り種なんじゃないかしら。
身体的に大変というだけじゃなく、気持ちの流れとか役作りという面で、非常に難しくなると思われるのよ。
うーん、驚いた。

中村七之助の女形が観れてアタシは大満足でした。美しかった。
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by ling-mu.m | 2006-04-04 21:48 | 芝居/舞台
うんとこどっこいしょ
絶好のお花見日和だと報じられていた土曜日、アタシは家でひたすら寝続けました。
部屋の片付けは まだだけど洗濯はできたから本懐は遂げられたのだ。うむ。


春は好きだけど新学期は嫌い。
うろんな日々がまた始まるかと思うと、気が重いやぁね。


バイトの休憩室で、去年のクリスマスは彼女を(当時の)彼氏から奪い取るために15万ぐらいつかいましたよ、という話をしている男がいた。
15万と言えば、春からアタシが一大決心をして通うことにした某社の編集・ライター養成講座受講料とおんなじだな、と思いながら聞いてましたが。
どっちが有意義ということはなく、アタシが寂しいってことも、彼が阿呆らしいってこともなく、個々人に必要なものって違うんだなぁ。
アタシが将来 手に入れたいもののために貯金はたいて身になるかどうかも分かんないものへ投資するように、彼は彼の手に入れたいもののために えらい奮発をして、今は幸せの渦中にあると。
今のところ、その彼女とうまくいっている見ず知らずの彼の方が一歩 上手にいると思うので、アタシはアタシの15万を、いい結果に変えてみせようと思います。
ていうのは少々コジツケが過ぎるかしらん。
いいの。決意表明したいだけだから。

本当は何になりたいかなんて分かんない。
何をやりたいのか何に向いているのか説明しろって言われても明確な答えなんて出せません。
それでも時は過ぎるし言わなきゃならなくなるんなら、取り敢えずアンテナが受信したものに向かってみるしかないじゃない。
重い腰をあげたら、それだけで空気は動く。動いた空気が、何かを連れてくるかもしんない。
頑張る頑張る頑張る。
きっとこの世はそんなに嫌ぁなモノじゃない。
きっと素敵、きっと綺麗。

泣かない頼らない甘えない。
決意 新たに、2006年 春。
きっと明日はいい天気。
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by ling-mu.m | 2006-04-03 00:43 | 日々