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僕らの家、僕らの海
初めて下北沢で芝居を観て来ました。
ヒンドゥー五千回第12回本公演「僕らの家、僕らの海」。

高校時代の同級生5人が、随分と久し振りに再会して共に暮らし始めた。
それぞれが定職に就いて忙しく働いている中、ひとり不安定なバイトで生計を立てる康夫。
彼がする話は高校時代の思い出を語るばかりで、同居人たちには煙たがられていた。
今を生きる人たちと、過去にすがりつく人たち。
今はいつか思い出になり、記憶が忘却の途を辿るのは止められない。
それでも、忘れられない日々があった筈だ。確実に。


おとつい観に行った友達の出てる芝居が思った以上に面白くなくて、これはどこかで取り戻さねば・・・と思っていたところでなかなかイイハナシが観れたので良かった。
多少 台詞のしつこさが気になったのですが、今回の脚本がそういうものなのか毎回こうなのか分からないので、取り敢えず次の公演も観に行こうかなと思いました。
話自体は好きだった。

高校時代に囚われている康夫が、イタくてイタくて仕方がなかった。
それは多分、自分自身にまるで重ならないからだと思う。
高校を出るまでは学校という場所が死ぬほど嫌いで、でも生活のほぼ全てが学校だけで成り立っていて、そんな自分が腐りきってたあの頃に戻りたいなんて露ほども思っていない人間だから。
康夫のように過去を思い出しては あの頃はよかったーなんて言ってる人の気持ちは、私には全然 分からない。
基本装備の欝とネガティブ思考が今はナリを潜めてるというのもあるかもしれない。
私を不愉快にさせるもので世界が満ち満ちていることに、まるで変わりはないけども、そういうものに潰されないだけの気持ちがあるから。
そう考えると、普段の状態で観たら怖いことになっていたかもしれない。危なかった・・・。

康夫以外の人々は、仕事をしながら忙しく日々を過ごしてる。
過去は思い出されもしないところにしまいこまれて今だけに追われている姿には、それはそれで不安にさせられる。
どんなにくだらない思い出でも、それが今の自分を形作っていることは確かなことで、そこからしか繋がっていないということもまた事実で。
そうすると、腐ってた私のあの頃も、現在に至るには必要な過程だったのかと・・・思わない訳でもない。というか実際そうなのだから、認めなきゃいけない。でもそれは難しい。

彼らのもとには、色々な人がやって来た。
康夫を、ちゃんと働けと叱咤する兄。
おきくんの、隠されていた住所を勝手につきとめて押し掛けて来た妹。
家事をする代わりに家賃タダという条件で彼らのもとに住みついた良枝の父。
彼らの先輩であった、熱くてウザイ横田。

昔から変われないままのそれぞれが、彼らの家にやって来て彼らをうんざりさせる。
いつまでも同じままではいられない。
それはみんな分かっていることだけど。

覚えているとか忘れてしまうとか、記憶とか思い出とか。
そういうことを描いた物語だけど、思い出って大事だよねなんてそんな簡単な話じゃない。
今を生きなきゃねなんて前向きな話でもない。

  忘れるまで覚えてるんだよ。

ある登場人物の台詞ですが、結局はそれだけのことなのかもしれない。
忘れたくても。覚えていたくても。
でも、忘れたつもりでいても、何故か突然よみがえる記憶がある。
そういうものは大切かもしんないなぁ。と思った。


2月6日まで、下北沢OFF・OFFシアターにて上演。
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by ling-mu.m | 2005-01-30 23:56 | 芝居/舞台
徹夜兄弟
昨日 観に行った芝居の話。
芝居というよりコントライヴですね。
以前、某劇団のコントライヴに行った時、えこんなんで金とっていいと思ってんのていうか人前で披露していいと思ってんの頭イカれてんじゃないのてめぇら、と言いたい程に面白くなくて、小劇団(プロではない人)によるコントはちょっとトラウマになっていたのですが、今回は観たい理由があったので、勢いも手伝って行ってみてしまいました。

観たのはニセ劇団の第二回公演「徹夜兄弟」。
ここの主催者・丸二祐亮(まるに・・・読み方分かんない)さんが、なんとシティーボーイズライヴの作家さんをやってる人だというのです。
シティーボーイズ・・・大竹まこと、きたろう、斉木しげる という個人名のほうが有名ですよね、多分。この三人+ゲストで、毎年ライヴをやっているのです。私は中村有志といとうせいこうが出てた時が一番好きだ。
で、そのライヴの作家さんだってんで、こりゃきっと面白かろうよと。
トラウマ克服のためにもよかろうと。

思って、行ってみたらば。
うん。ちゃんと面白かった。
一人で行ったのに声出して笑っちゃったし。
いやー、やっぱ書き慣れてる人は違うわね。
演じ手もみんな役者やってる人だから、安心して観れた。ただの「面白い奴らの集団」じゃあ、コントはできないのだよねぇ。

でも、結局プロじゃないのよねーと思わせたのも演じ手たちでした。
最後に近づくにつれ、脚本との相性なのか疲れが出てるせいなのか、素が出過ぎてて気になった。勢いとテンションだけで笑わせようとしてて、これじゃその辺の芸人がやるショート・コントと変わらないじゃーん、と。
そこには明確な線引きが必要だと思うんだよね。
彼らは大根役者でも許されるけど(ホントは許したくないけど。でも世間の風潮がそうだから)、劇団としてお笑いをやるのなら、ギリギリまで演技をして、ここぞというときに素を見せて笑わせて欲しいのだ。あるじゃない? アドリブとかトチリとかの時に出る「素の面白さ」って。
それを大事にして欲しい訳だよ。言い方 変えれば、有効活用して欲しい。
だから、テンションだけでコントしちゃ駄目なんだよ。テンションの高い芝居をしなくちゃ。

正直、ホンの面白さに役者がついていってない気がした・・・いや、色眼鏡かも知らんけど。
これをシティーボーイズでやったら、て思わず考えちゃったもんね。

あとねー、これは個人的な話なんですが、私はどうも怒声と奇声に弱いらしい。
子供が嫌いな理由はそれか、と気付いた(遅)。カンニング嫌いなのもそれだね。
芝居してる時はいいのよ。怖いけど、それは聞き入っているがためにもたらされる怖さだから。
でも、素の状態でキレキャラをやられると、どうも不愉快で仕方ないみたい。
非常に微妙でわかりにくい線の引き方なんだけども、私の中ではどうやら明確に聞き分けているらしくて。
要は好みの問題、てだけなんだけどね。
今回、何やってもキレてる人がいてホント勘弁だった。
他の劇団の公演でキティガイの役しか見たことなかった人が、実はちゃんとまともに喋れるんだって知って感動した、というエピソードもあるけど(笑)
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by ling-mu.m | 2005-01-28 15:27 | 芝居/舞台
個人的な叫びあるいは不特定多数に対する八つ当たり
某銀行のテレビCMが心の底から気持ち悪い。
名付け親 死ねばいいんじゃない!?
想像力 欠如してんじゃないの。嫌な思いする人間いるなんて、ちょっと考えれば分かるそんなこと。
マジ腹立つ!! キモチワルイ!!

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ハイすっきり。
テストは残すところあとひとつ最難関の中国語のみだけど皆さんの期待を裏切ることなく勉強なんかしてないから大丈夫(何が!?)。
だって今週 後半戦は勉強してる隙間なんかないのだ。
スケジュールぎちぎちにしたのだ。しかも楽しみすぎる予定ばっか。
明日は一日バイトでまぁそれは仕方ない。
明後日は午前中バイト、午後にワタリウム美術館行って(初!)、夜は芝居鑑賞(これも観に行くの初の劇団!)。
明々後日は午前中バイト、午後に神楽坂へ行って甘味を食し(でもまだ未定)、夜は芝居鑑賞(友達の公演)。
その次は昼間テスト(何とかなるなる。てか、する)、夕方にヒルズの森美術館(アーキラボ! 都市モノ多いよねー今)、夜は友達んち泊まって春の旅行計画相談会(四国行くの。実は初!)。
その次は、起きた時間によるけど多分 午後から写真美術館行って(やってるのまとめて観て来ようかな、と。でも近美に行くかも。痕跡展を薦められたのだー)、夜は芝居鑑賞(これまたお初の劇団!)。
うーわぁ、わきわきだぁ。
気分は、ひとりで祭りの前夜。テンション上がるー。
本も読まなきゃ。映画も観なきゃ。
つめこめるだけ、やってみたい。そういう時期。無駄に元気。

そんなアタシの今のヘビロテはスピッツの「スーベニア」と綾戸智絵。
綾戸さんについてはまた書きます。ただいま あっため中。
スーベニアは4番の“優しくなりたいな”がドツボにストライクでズキュン。
ピアノにその声はヤバかろうマサムネ。アタシをどうしたいってゆうの!!

ああ、我ながらウザイなーこのテンション。そして稀だ。
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by ling-mu.m | 2005-01-26 01:18 | 日々
逃避。
言語学概論のテストまで後11時間。
問題は発表されてるから、答えを作って教場に持っていって書き写せばおしまい。
評価は厳しいって言われたけど取り敢えず出席はしてたし、単位さえくればもういい。
から、何か書け自分。
と思いながら煩悶すること数時間。
・・・答えが作れましぇん。

集中力の問題。
ネットでちらっと調べものするつもりが、気付けば違うページ見てて一時間、とか。ザラ。
嗚呼 駄目人間。

言語学なー。
興味はあるんだけど何せ概論なんで先生ハショリすぎなんだよ。
板書してくんないし。
板書ないとノート作れないのは予備校時代の弊害。
記憶力ないこと自覚して、メモることにもっと積極的にならねばいけませぬ。

人間てさ、空気通すトコロと食べ物通すトコロがおんなじで、そうすることで音声活動が広がってつまり喋れるようになったんだけど、と同時に「食べ物がのどに詰まる」危険性を背負ったんだって。
喋れるようにはなったけど、死のリスクとひきかえ。
どうしてそこまでして喋りたかったのか?→他の動物より優位に立つため。かも。
強ぇなあ、と思うと共に、エゴイスティックな生き物ねーとも言ってしまう皮肉屋な自分。

あああ。タイムリミットが迫ってくるよー。
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by ling-mu.m | 2005-01-24 03:44 | 日々
夜回り先生と神様のこと
話題ひとつめ。

今日のスーパーフライデーで、水谷修さんが取り上げられてました。
夜間高校の先生で、薬物から子供を守るために活動しているおじさん。

確か高1の時、ウチの学校に講演会に来ました。
クソみたいな講演会ばっか打つ学校でしたが、この講演会だけは記憶に残っているし、いいもの聞かせて貰ったと思ってる。

今回の番組で、先生が癌に侵されていることと、多忙が極まって教員を辞職したことを知りました。癌は、かなり進行しているらしい。
世の中って絶対的に不公平だ、と思うのはこういう時です。
もっと絶対、苦しむべき人間は沢山いるのに。

薬物依存に苦しむ子供に寄りそって一緒に戦って、深夜徘徊する子供を家に帰るよう促して、薬物に手を出す子供が一人でも減るように、薬物から子供を守る大人が一人でも増えるように講演をして。
単純に、凄い人だなと思う。偉い人だなと思う。
他人の子供、普通に生活していれば自分とは関わることのない子供。
その子供たちに人生をあげてしまって、生きてる。

有難うと思う。
子供のことを思ってくれて有難う。
さみしい、行き場のない子供のことを思ってくれて。
まだ片足 子供に突っ込んでる私ですら、彼らのこと見て見ぬ振りをする。
大人なら尚更。年が違えばもっと。異人種、見るみたいな感覚なんだろうね。

大人が嫌いだということを昔に書きました。
子供が不幸なのは大人のせいだっていう考え方が、私の根本にはあって。
大人は子供にもっと優しくなくちゃいけないと思っていて(甘やかせ、て意味ではなく)。
だから、子供が薬物にはまって駄目になっていく姿を見てごめんな俺たち大人がふがいないから助けてやれなくて、と涙を見せる水谷先生には、心底 有難うと思う。
子供を、子供っていう存在全部を、大切にしてくれてる人。

私ごときが言っても陳腐なんだけどさぁ・・・うーん、うまく思ったことが言葉にできない。
何かもっとちゃんと、伝えたいと思ったことがあるんだけどな。
書いてみたら難しかった。
無念。

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話題ふたつめ。

アメリカ人の半数以上が「天地創造」を信じている、という新聞記事を読みました。
つまり、地球をお創りになったのは神様で人類の始まりはアダムとイブで、てことを信じていると。

宗教信仰ってそういうことか、と思った。
地球は、隕石が衝突したり新星爆発 起こしたりよく分かんないけど何かそんなことがあってできて、人類は獣から進化した、と私は思っていて、それが私にとっての当たり前な訳です。
その方が、神様が出てくるよりずっと科学的だから。
でも、キリスト教 信者にとっては科学的か否かということは問題ではない訳ですね。
神様が創ったもんは創ったんだ、と。理屈じゃないんだろうなと思うの。

記事を読んだ最初は、正直、馬鹿じゃないの!? と思いました。
今時 そんなこと言ってる人いたんだ? て。
でも、それは私の常識と食い違っているから思った訳で、「常識=正しいこと」という考え方は非常に危険。それも分かってる。
私は無宗教だから、神様という存在が彼らにとってどんなに大切なものかは分かり得ない。
だから馬鹿じゃないのと思ってしまう。でもそれは駄目ですよね。
まず想像してみることが必要。結果、理解できなくてもいい。でも、考え方の受容はしなくちゃならない。そういう人達もいるんだね、という納得は絶対に必要。分かんないけどねー私には、て言っててもいいから。

でもねえ・・・教科書から進化論 消す、とかいう姿勢に向こうがなるから、話がややこしくなるんだよねぇ。
向こうも、そういう考え方あるんだ、て納得してくれりゃいいのにさ。
してくれないことが問題らしくて。
それが、宗教の怖さという部分なんですよね。

難しい・・・なぁ。
三浦綾子の「塩狩峠」を読んだ時に、キリスト教信者の主人公は自分の身を挺して列車を止めて乗客を救うんだけど、まずそうする行動が信仰に基づいてる、てのが信じられないと思ったの。
詳しくは覚えてないんだけど、そうすることが自分のお役目だ、みたいな感じじゃなかったでしたっけ。
で、主人公には婚約者がいたのだけれど、彼女は長らく病床にあって、信仰のおかげで元気になって、やっと幸せになれると思った矢先に旦那になる人に死なれた訳です。
それなのに、彼女は逞しくもしゃんと前を向いて歩いていく訳だ。その根底にもやはり信仰があって、その気持ちもやっぱり・・・分からないんだなぁ。

ただ、それがあることで強く正しく生きていけるのなら、いいことだよね。
そこだけはハッキリ思う。


複雑で絶対 簡単じゃない問題。
もうちょっと、自分の中で考えて熟成させるべき話題です・・・。もっと自分の考え方もってから喋らなくちゃ駄目なことでした。
でも現時点で考えたことを書いておきたかったからこれはこれでよしとしよう。
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by ling-mu.m | 2005-01-21 22:11 | 思慮
海に行きたいよー
と、ここでもさんざん言っててしつこいぐらいですがつーか行けばいいじゃんて感じですがだから来週あたり行って来ようかなと思ってるんですが寒いのは嫌い。冬の海はきっと寒い。
早く春にならないかなあーっっ。
春 好き。あったかいから。
春風が思いっきり吹いて葉っぱをざぁっ! て鳴らすの好き。
散り際、雪みたいにちらちら舞う桜並木の下歩くの好き。犬 連れて。

暖房効いた図書館でぼーっとしながら遠くの景色を思う。
待ち遠しい いとしい季節。

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図書館の端っこの席で、海行きたい海行きたい、て思ってたら見えた世界。

 * * *

みなも光る。きらきらとまばゆい。
太陽の光受けて輝く月の光受けて、
輝く水面。きらきらとまばゆい。
音 静かに風は凪いで波は穏やか。
ひとり
きらきらを受けてたたずむ。
はだしの足で白い砂 踏んでぽつんと。
ひとり 海を見つめていた。
あたしはここにいるよと思いながら。
ざわざわしいココロをかくして平気なカオをしながら、でも。
あたしはここにいるよ と
叫ぶ気持ち。

 * * *

寒いの我慢して行って来ようかなー。海。
バイトない日に晴れてくれればいいな。朝起きて富士山 綺麗に見えたら行こうかな。
早くあったかくなればいいのに。

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じゃなくて一番 書きたいことがあったのでした。
本日、5000ヒット達成。
いつもの人もたまたまの人も、有難いです、ホントに。心からの感謝を。
皆さん気軽にコメントなど、してって下さい。
アタシはもうちょい、読むに耐えうる文章 書けるようになります。要努力。要精進。
がんばる。
これからもどうぞよろしくです。
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by ling-mu.m | 2005-01-19 23:24 | 日々
エッシャーのふしぎ世界展
さっき、書き終わった報告記を全部ふっ飛ばしました。
号泣。
渾身の作(それはいつもそうだけど)だったのに・・・。
立ち直れない。
アタシの馬鹿・・・。大馬鹿・・・。
うう(涙)。

書き直す気力が出ないので、せめて一番 気に入った作品の紹介だけでも。
だまし絵じゃないところがアタシらしさ。とか言ってみる。
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「PINETA VAN CALVI」
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by ling-mu.m | 2005-01-18 23:06 | アート的な
グラスハート
アタシが世界でいちばん愛してる物語。
若木未生の「グラスハート」。集英社コバルト文庫。既刊8冊(含・外伝)。
突拍子もなく、3巻の真ん中からとか読み始めて、止まらなくなって全部読む羽目になる。
いつも。

浜松に置きっぱで、我慢できなくて今回 持ってきちゃったんだけど、テスト前にやっていいことじゃなかった。
せめてすぐ何処かに隠しておくべきだった。無造作に床に放っておけるものじゃかった。
読まないでいられる訳ない。
おかげでテストとか勉強とか、そんな言葉 忘れた。

血がたぎる。
アタシにはやりたいことがあったんじゃんか。何で忘れてたんだ?
て読みながら、読み終わってからも、すごく思う。
熱いモノが、アタシを掴んで叱咤する。
その繰り返しで、繰り返してる時点で馬鹿だけど。

走らなきゃ、という思いが静かに満ちて、眠れなくなる。
目が醒める。光が見える。
目指すべき光。

天才音楽家がいて、そいつに見初められたドラマーの女子高生が主人公で、赤毛のギタリストと眼鏡のキーボーディストとが、頂点めがけて突っ走っていく、そういう話。
抜群にカッコイイ、アタシの一等賞の物語。


本編の方はうっかり手にとってはまって読んでしまうパターンなんだけど、実はex.(外伝)は違って、必要な時がくると読んでた。自分を励ますために。前を向くために。
どれをかっていうと主に「素晴らしき日々」と「New Days」。
昔は後者が一番だったけど、今は前者の方がよく読む。
土岐さんの言葉が、声が必要になる。今もそう。
少し前にふと、あー読みたいな、と思ったら徐々に徐々に必要度が高まってきて、切迫してきて、でも実はex.だけ置いてくるというありえない不手際を犯したがため、未だに欲求は満たされていない状態。
辛い。
ので、この際もう一冊かってしまおうと思い、生活圏にある本屋を巡ってみたものの見つからず。
仕方がないのでさっきアマゾンで注文しました。
何気にまだ読んでなかった「真・イズミ幻戦記」も一緒に買っちゃったから、このままテストの存在がアタシの予定から消え去るのは必至。残念。

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テスト勉強しない、なんて、今までのアタシの人生じゃ考えられなかった話ですだよ。
してなさっぷりに自分で驚いちゃうぐらい。
クソがつくほどじゃないけど、人並みに真面目でかつそれしかないような、つまんない人間だったから。
まぁ、それは目標あってのことだったし、そういう自分がいなければ大学に進学することもなくて、今 大事な人達の人生に掠りもしなかったかも、と思えば、許容できることだからまぁいいや。
別にアタシ中国語やるために大学行ってる訳じゃないし。
他のレポートはそれなりにまともなもの書いてるつもりだから、まぁいいや。

まぁいいや。
て、これまでの人生に足りなかったものかも。
大事にしよう。
それで進級できてなかったら笑えないけどな。はは。
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by ling-mu.m | 2005-01-17 02:24 | 活字/漫画
未来、キてるねーっ
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アメリカさんが、空中に映像を映し出す商品を発売したんだそうです。
Heliodisplayという商品。1万8600ドルですって。お高い。
やー、でも欲しいかもコレ。
まだ娯楽の粋なのかなー? それにしたって手元に置いときたい。
3Dではないらしい。英文だからよく分からん。翻訳サイト使うと気持ち悪い訳になるから好きくないんだよね。

動画を見てみて。感動するから。
いや、人によるのかもしれんが。
かつてお風呂で宇宙船ごっことかしたことある人ならきっと分かってくれるこの熱い思い。
静止画にすら、おー(溜息)てなったよアタシは。
かっちょいい。
すごいよねー、わくわくするね。SFだよ。
未来、来てます。て感じる。そりゃ月に人住めるようになっちゃうよねーて思っちゃいません?(・・・宇宙基地つくってるの月だよね? 火星じゃないよね?)

凄いなー凄いなー。
パソコンだのテレビだの電子辞書だの、あらゆるディスプレイが要らなくなる日も近いのかもしれませんね。
ドキドキするなぁ。
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by ling-mu.m | 2005-01-14 22:55 | 日々
フランケンシュタイン
b0026230_457456.jpg海洋冒険家のウォルトンは、北極を目指し船を走らせていたところで一人の男と出会う。男の名はヴィクター・フランケンシュタイン。錬金術に魅せられた挙句、屍からより集めた死した細胞で一体の生物を造り上げてしまった科学者である。彼は、己が創造した怪物を追っているところだと言う。怪物を抹殺するために。
一人の男が破滅していく様と、怪物の奇妙で悲しい物語、そして二人の行く末が描かれる。
わずか19歳の少女が紡いだ、今もなお語り継がれる怪物の誕生物語。

メアリー・シェリー著。私が読んだ創元推理文庫の訳者は森下弓子。
出版は1818年。187年前・・・ですか。『詳細 世界史』の域ですわな。

レポートの課題図書でして、読んでみたらなかなか面白かったので紹介してみようかと。
一般に知られている「フランケンシュタイン」が、実は怪物の名ではなくそれを作った科学者の名前だと言うことは、多分そんなには知られていないことなのでは、と思いますが、どうでしょう。少なくとも私は知らなかった。本来の物語の中では、怪物は怪物でしかなく、固有の名前を持たないのです。それが、今となっては憎むべき創造主の名で呼び馴らされている。因果なものです。
おそらく、人々に共感を生んだのは怪物であって、科学者よりも重要な存在だった。だから、タイトルである「フランケンシュタイン」が、読者にとって大事な人物であり、より印象の強い怪物の呼び名に自然と移行してしまった。・・・のではないかと。個人的には思ってます。

読みやすいです非常に。語り口調ですので。語り手はウォルトン→ヴィクター→怪物→ヴィクター→ウォルトンと変化していきますが、混乱することもなく、スムーズに読み進めることができると思います。
内容も分かりやすい。ホラーではないです。全然 怖くはない。

科学者は悪。怪物は善。
私の中でははっきりと線引きができています。覆ることはない。
科学者、ヴィクターの語りが大部分を占めるのだけど、この上なく胸くそ悪いものです。エゴと被害者意識にまみれた腐った精神しか、こいつは持ち合わせていない。
怪物を造り上げたのは他でもない自分なのに、その醜悪な姿に慄き無責任にも放り出し、怪物が侵した罪の根本にある原因を考えもせずに、彼を憎み罵り蔑んだ。そして彼と交わした約束も破棄し、何だかんだと言い訳をしながら己の幸せを追い求め、結局は全てを失い、そこで初めて怪物を殺しにかかり、追いかける。
何が気に入らないって、「おまえの婚礼の夜に、きっと会いにゆくぞ」と怪物に言われ、今までの怪物の行動を見れば何をされるか分かりそうなものなのに、意味の分からん思い違いをして結局、自分は生き永らえているところです。どうしたって元通りにはならない人生、そこから何も知らぬ人々を自分の手を汚すことなく消し去るつもりだったのでは、そのために半ば強引に自分が殺されるのだと思い込んだのでは、と疑いたくなる。
言葉が多すぎなのですよ。誰かが死んだ時、とにかくこいつは喋りまくる。嘆きの言葉を、恐ろしく豊富なボギャブラリーでもって並びたてる。そこがいけ好かない。――これは、海外小説の特徴なのかも、とも思いますが。シェイクスピアに代表されるように、向こうの連中はとにかくよく喋る、て印象がある(シェイクスピアは戯曲だから、喋らにゃどうしようもない、てのもありますが)。
とにかく、その言葉が胡散くさいことこの上ないのです。愛する人の死を防ぐためにヴィクターにできたことはいくつかあった筈なのに、それらが見えない振りをして、後の祭りになった時に嘆き悲しみ後悔する。その狡さに反吐が出る。
でも、悲しいかな、彼は人間の本質を表している、それもまた真実なのです。
蔑み嫌悪するのは、自分の中にも彼と同じものがあることを感じるから。利己的で、自分が一番 可哀想だと嘆くヒロイズムは、私の中にも確かに存在してしまうものなのです。

一方で、怪物もまた、人間なら誰しも持っている性質を表した存在であるのです。
怪物は、孤独を恐れ嫌がっていた。その思いは自分の愛したある人間の一家に、その醜悪な姿のために慄かれ受け入れてもらえなかったことで増幅し、人間世界で生きることを彼に諦めさせた。しかし、“生”そのものへの執着は消えなかった。幸せな日々を求める心が、伴侶を造って欲しいという創造主への依頼を呼んだ。
他者に嫌われることに怯えながら、愛を欲しがって不器用に生きる、その姿はまさに現代を生きる人間の姿なのではないかと。この物語が作られた時代を思えば、現代と言わず普遍的な在り様ですらあるのではないかと。思ってしまうのであります。
怪物は言います。「自分は誰だ? 何者なのだ? どこから来たのだ? 自分の運命は何なのだ?」(168頁)
これは絶えず我々も考えていること、この答えが欲しくてあがいている人は決して少なくない筈です。それぐらい、みんな自分に自信がなくて何者かになりたがってる。怪物は、そういう気持ちの反映なのです。そんな怪物を愛おしく思うなと言う方が無理な話で。
でも、実際に自分の目の前に怪物が現れたら、その姿形に驚いて恐怖を覚えて、それきり彼と分かり合おうなどということは・・・・・・・しないんでしょうなぁ、きっと。それが分かってしまっているというのも悲しい話。結局はどこまでも、自分はヴィクター的な存在だということなのでしょうか。

「ヴァイブレータ」とか「ハッシュ!」とか、「アカルイミライ」もそうだけど、この辺の映画を観た時に思うのは、弱くて脆い人に優しい世の中であって欲しいと。ちゃんと一人で立ってられない人達が、少しでも傷つかない世界になればいい、てことなんだけど。
この怪物にも、少しだけ、同じような「弱者」の影を見たのです。だからまた、思ったのだ。特にこの怪物は「善人」だからさ。イイヒトが幸せになれる仕組みに、ホントはなってなきゃいけないのにな、とは、普段の生活で善人に接するたびに思っていることなので。私は善人じゃないからさ。ごめんなさい、て気持ちもこめて、思うのです。

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徹夜明けの頭で勢いに任せて書いてしまいました。レポート書いてたら、もはや一限に間に合うように起きる自信がなくなる時間だったので。
今日は1・2限 出た後夜までバイトだ。頭働かないんだろうな。
試験勉強、というものを全くしていないままにテスト期間突入です。あーあ。
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by ling-mu.m | 2005-01-11 06:29 | 活字/漫画