カテゴリ:芝居/舞台( 85 )
カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝
普段からKERAが好きだーと言っている割に実は初めて観に行ってきましたNYLON100℃
まぁ芝居を観るようになってまだ日が浅いから仕方ないのだ。
場所はこれまたアタシの好きな本多劇場だよわぁい。
席が互い違いになってなかろうが気にしません(え?)。

「カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝」は9年前に書かれた、KERAの私戯曲、らしいですね。ホントかしら。
中身がどうとかもう気にしないでチケットを取ってしまう(勇みすぎてダブって取っちゃったので必死に少ない友人に打診して買って貰った)ぐらいにケラ(何で今までローマ字表記してきたんだろう、と、こないだ不思議に感じたのを思い出したのでカタカナ表記にします)が好きな人なので、芝居が始まってから、あー大倉孝二ナマで観るの初めてだなとか小松和重 出てんじゃんとか気付きましてアラアラ。

大倉孝二でかー。
プロフィール調べたら187cmですってデカー。ほそー。
大倉孝二の魅力って何だろうなぁ、と考えてみるけどうまく出てこない。
すごく好きなんだけど何だろうなぁ。
情けない男が全身で演じられるところかしら。
あと、二枚目でもブサイクでもない微妙な顔? 首から下はイイオトコな感じのアンバランスさ?
幸せじゃなさそうな顔してるからかな。

義彦(大倉)は呆けた父親(山崎 一)、おっとりした妻・利江(峯村リエ)と思春期の娘・奈津子(馬渕英俚可)と共に暮らす一家の大黒柱である。家には更に、医大を目指して七浪中の甥・浩一(小松)を居候させている。
時代は昭和、「おれたちひょうきん族」が世を賑わせ、彼らの家にはテレビも電話もあるがクーラーはない。
呆けた父を愛し、妻と娘を愛する、実直で真面目な男を、大倉が好演。中途半端な切れっぷりも良い。怒ってもちゃぶ台をひっくり返せないお父さん。
義彦の父は厳格で怒りっぽい男だった。理由もなく手を上げ、怒鳴り散らす。
そんなだった父は、「自分に素直になった」分、子供のような人になってしまった。
心配した家族に病院への通院をさせられ、やがては入院することになる。
が、彼の頭の中で、海辺の真っ白な病院に強制入院させられた自分は、そこで出会った入院患者たちと病院脱出を企てる。
が、医者や看護婦に扮したガンパンパ星人が、それを阻もうとする。

祖父の空想と義彦の家、二重構造で話は進むが、ふたつの世界を繋いでいる不思議な存在がみのすけ(みのすけ)という若者。
自分が義彦の息子のように振舞う彼の姿が見える者は誰もいない。おそらく、祖父にも見えていない。
祖父と同じ名を持つ彼が、病院の中で仲間と交流しガンパンパ星人と戦う。

体系だてて説明しようとすると、なかなか難しい世界。いつも通りですね。
理屈づけて考えることを拒否している、それがケラの書くものな気がする。
やりたいホーダイやって、突拍子がないし脈絡がないし中身もないし無駄に長いし、観客に親切じゃないなぁと思う。
が、それでも余りある魅力を、持っているんだから凄いですよね。

今回のは本当に中身がなかった。クライマックスのカタルシスなんてある筈がなく、キレイに終わらせる気がないだろう、と言いたくなるほどに投げたオチだった。
もういっそ清々しいです、ここまでやられると。
あーバカバカしかったー。て言いながら帰れる気軽さ。
しかし、あそこのシィンの義彦の優しさとかあそこのシィンの利江の寂しさとか、しんみりと思い出されるものが あるんだからズルイよね。

ああまったく人の人生なんてこんな風に語られる程度に軽くてどーでもいいものなのかもしれませんよ。
そう思えば気が楽だ。
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by ling-mu.m | 2006-04-10 02:32 | 芝居/舞台
ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団
ちょっと前のことになってしまいましたが、友に誘われ国立劇場まで行って来ました。
ピナ・バウシュ来日二十周年記念公演。
演目は「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」。

国立劇場は初めて行きましたが、何ともナンセンスな造り。
普段の演目が歌舞伎やら能やら日本の伝統演芸なので違和感がないのだろうが、それにしてもあまりに「古いまんま」と感じました。
狙った古さでもないからダサいだけだなー、と。
客席の傾斜も大してないし席は互い違いになってないし、見上げればちょうちんが吊ってあるし、ちょっとなぁ。
他と一線を画していて面白いけど、直すべきところはあるだろうと思う。


毎度アタマを悩ますダンス公演、今回は海外の巨匠の作品ということで、己がどう感じるのか楽しみに行ってまいりました。

第一部の「カフェ・ミュラー」は、並べられた椅子の中を目を閉じた女が歩いてゆく、その行く手にある椅子を必死の形相でなぎ倒す男、というのが主なモチィフ、なのかな。
予備知識ナシで行きましたから、それがどういう作品かも知らないので、目の前で展開されているものに勝手にストーリィ付けをする。
舞台の手前で踊る若い女とシンクロするように、舞台の奥手でピナが踊る。
痩せすぎた、まさに骨と皮だけのような細すぎる体躯に薄いワンピィス一枚で踊る。
それは、昔の出来事を、老女が回想しているような様。

と、思っていたが途中で物語を考えるのが難しくなったので放棄しました。
目の前で繰り広げられている光景をただ単純に心に捉える、それはやはり困難を伴うものです。


25分の休憩を挟んで第二部は「春の祭典」。
長い休憩は何のためにあるかと言えば、やはり仕込みのためなのでしょう。
椅子その他の小道具が片付けられ、何もなくなった舞台に撒かれるのは土。
焦げ茶色い土が敷かれ上下にはスポットライトが並べられ、第一部とはまるで違う有様。
いや、なかなか圧巻でした この仕込み。

そして始まった舞台は、とても、とても素晴らしかった。
二十人強(多分)の男女によって、おそらくは豊穣と春到来を喜ぶような(これもまた勉強不足でして・・・)カァニバルの仰々しさと荒々しさが表現される。
それは、あまりにもダイナミックかつ力強くて躍動的。
走る、飛ぶ、跳ねる、転がる、踊る踊る踊る。

祭典の中で少女が生贄として(おそらくは神に?)捧げられるのだけど、赤い布を手に手に少女たちが順繰りに一人の男のもとへ行き、恐れおののきながら布をさし出しては手を引っ込め、少女たちの輪の中に帰ってくる。
何人かが繰り返し、とりわけ小さな女の子が、遂に布を持つその手を掴まれ、実は赤いワンピィスだったそれを着させられ、彼女は一人 激しく踊り出す。

アタシは初めてダンスで感動したんだと思います。
人間の肉体とか身体能力とか、そういうものを超えて(あるいは全てひっくるめて)、目の当たりにしてるもの全部が素晴らしい、ブラボーだな、と。
今までで一番 素直に思えたのが、この「春の祭典」だったように思います。
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by ling-mu.m | 2006-04-10 00:56 | 芝居/舞台
東海道四谷怪談
母が行きたがったので一緒に観て来ましたコクーン歌舞伎「東海道四谷怪談」。
コクーンで隣合った客のマナーが良かったためしがねぇ。

お金ケチってA席かなんかにしたら二階席で案の定 遠くて、母に怒られました。
ごめんよママン。いつか桟敷席で観せてあげるさ。

鶴屋南北が原作の「東海道四谷怪談」、当然 読んだことはなく、アタシの中では京極夏彦の「嗤う伊右衛門」(新歓の時に知り合った人に貸したっきり返ってこないや・・・もう一冊 買おうかしら)で世界観はガッチリ固められておりました。
お岩さんは頑固でいじけた気の強い女、伊右衛門は無口で不器用な硬派。
お互いを心底から愛していたのに、結局 添い遂げることはできなかった悲恋。

ところがどっこい、原作からは結構 離れて一人歩きしていたのですな、と判明。
何せ伊右衛門がクソ根性の悪い男で、人を殺しまくるんだから堪らない。
そうして殺された者が皆、伊右衛門 憎しうらめしや、と言って化けて出るのだからまさに怪談。
お岩さんは、木村屋と伊右衛門の犠牲者という立場でやはり同情をせずにはいられないお人だけども、伊右衛門に対して強く出られないあたりが都合のいい女っぽくて、嫌だ。
そういう人が死んで尚 化けて出て恨めしい旦那をたたってやろう、という姿勢を描くことによって、女の鬱憤を晴らさせようだとか女の真の恐ろしさなんかを表しているのかもしれないが。

契った女が実は血を分けた妹だった、という挿話があるのだけど(直助と、お岩の妹・お袖)、そういう話って昔から支持されてたんだ、て思った。
禁断に弱いのはアダムとイブを先祖に持つ人間の性かな。キリスト教の話ですけど。でも、そういう話が生まれること事態に表れてるんだろうね、禁じられてることをしたい・見たい願望。
許されざる恋が素敵、という思いがなければ、ロミジュリが未だに上演されることもない訳で。

嫉妬に狂って死んだ岩、若い女を手に入れたくて岩をソデにした伊右衛門、自分の娘可愛さに岩に毒を盛った木村屋、今も何処にでもいそうな人間ばかり出てくる。
根本はきっと何にも変わっちゃいないんだ、江戸も平成も。
不思議な話だけどねぇ。

パンフを見て驚いたのが(もの知らずがバレますが)、歌舞伎って一人で何役もやるのだねぇ。
勘三郎が同じ場でほぼ二人の人物を演じてて、裏ではきっと超早着替えが行われていたのだろうなと思うのだけど、やっぱりそれが普通なんだろうか。
そして場を変えると同じ人物を違う人が演じていたり(弱ダブルキャストみたいな)、相当 変則的で驚いた。
きっとそういう伝統があるから今でも同じように演じられているのだろうけど、これは演劇の手法としてはかなり変り種なんじゃないかしら。
身体的に大変というだけじゃなく、気持ちの流れとか役作りという面で、非常に難しくなると思われるのよ。
うーん、驚いた。

中村七之助の女形が観れてアタシは大満足でした。美しかった。
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by ling-mu.m | 2006-04-04 21:48 | 芝居/舞台
4.48サイコシス
ああ残念キタイハズレ。
途中で帰る気持ちも分かるわ・・・(マナーとしては眉をひそめますがね)。


太宰もうすぐです。
あと一週間。
クラブ斜陽においでませ。
ご予約のお声をお待ちしております。
マジで!
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by ling-mu.m | 2006-03-19 01:41 | 芝居/舞台
夢の城
ケータイの待受画面を中山祐一朗にした。
やばい、どきどきする。

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バイトして西巣鴨で時間潰して新宿へ。
ポツドールの新作「夢の城」をTEATER/TOPSで観て来ました。
行こうかどうしようか迷って行かない方向にかなり傾いてたんだけど絶対また後悔するんだろうな、と思って結局 行きました。

うーん。
前作「愛の渦」の方が面白かった。かな。

深夜の時間が表示されたスクリーンが開くと、アパートの一室。ワンルーム。
目の前にはベランダ。室外機もちゃんとある。閉ざされたガラス窓の向こうに、ギャルっちい男女。
壁にはジャニーズとかBOAとか、ポスターやら切抜きやらが貼られている。ALBA ROSEのステッカーも。
上手側に玄関と台所。中央にユニットバスに続く折りたたみドア。下手側に押し入れ、テレビ。
部屋は汚い。ものすごく汚い。
いつかに敷かれたままきっとずっとそのまんまだろう布団の上で、各々にくつろぐ彼ら。
声は聞こえない。
談笑したりゲームをしたりしている。そのうち、エッチしたり取っ組み合ってケンカしたりし始める。
玄関から誰かが帰ってきたりして、あっちでもこっちでもエッチしてたりして、何やかんやでみんなで取っ組み合いになって、暗転。
早朝の時間が表示されたスクリーンが上がると、ガラス窓と室外が消えて、部屋と客席の空間が繋がる。
しかし、役者はもう声を発しない。
台詞は一切ない。彼らは全く会話をしない。
出る声は笑い声か喘ぐ声。
寝たり起きたり、出て行ったり入ってきたり、そんなことを繰り返す。

そんな感じ。
色々 述べる体力が無いから、えぐかった。とだけ。
マイノリティもマジョリティもないのかも知んない。なんてことを考えながら帰った。
これで3300円は、高いな。シベ少と天秤にかけたのは間違いだったかもしんない。
でもきっと次回公演も観に行っちゃうんだろうな。
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by ling-mu.m | 2006-03-03 00:03 | 芝居/舞台
ストロベリークリームと火薬
ねむい。

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TIF公演、本日からエルサレム出身の振付家、ヤスミン・ゴデールによるダンス作品「ストロベリークリームと火薬」が始まりました。
前売りチケットが完売してる回もあるという嬉しい事態になっております。
当日券 目当てのお客様もぞくぞく。
雨降って寒い中、沢山の方に来て頂けたようで、何より。
アタシは他の日に観る予定だったんだけど、昼から西巣鴨にいたので、ついでだーと思って観たのでした。

上演時間80分。
生でギターがかきならされ、スピーカーが目の前1メートルという大音量の中で観て、それでも、それでも寝た・・・。
80分のダンス作品を観る体力もないのかアタシは・・・。

結構エグい作品だよ、という話を聞いていたのですが、そうでもなかった。
確かに、暴力的だなという印象は受けたし、政治的・社会的なことを明確にメッセージとして伝えたいのだろうなぁ、ということも分かった。
他人の体を翻弄する人たち、抵抗もせず されるがままの人たち。
持ち上げられたり転がされたり脱がされたり殴られたり。
激しい動きの中に見えるのは、確かに悲劇的で痛ましい世界。
でも、80分も観てしまうと、そうも慣れが生じるというか、飽きるというか。
その「慣れ」も含めて、表現したいことなのかもしれないけど。
感覚の麻痺により起こる、悪を許す もしくは見てもスルーしてしまう状況。
そういうことは、確かにあるが。

解釈したい答えが欲しい、ということをいつも言っているくせに、明確なメッセージをこめられても、なんだか しっくりこないというか、まぁ要は、面白かったー。て言えないのが悔しいのだろう。
面白くないことはなかった。
七人によるダンスなんて、今まで見たことがなかったし。比較的 狭い所でばかり、ダンス作品は観てきたのだなぁと気付く。
しかし、手放しですごかった! とは、言えない。
やっぱり、ダンスを楽しむことは難しい。
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by ling-mu.m | 2006-03-01 23:39 | 芝居/舞台
再演A。キミのなかのボクのこと/Angela!
今日は半オフ。
芝居を二つ観ました。どっちも ご招待。気分いい。

一本目はTIFリージョナルシアター・シリーズ三本目、札幌の劇団・SKグループによる「再演A。キミのなかのボクのこと」
前二本が正直 残念なものだったため、観ないでもいいかなー広報の仕事も残ってるしなーと思ったのですが、なんとチケット完売の回も出て、非常に好評を博している様子だったため、こりゃ観とかにゃ、と。
時間ぎりぎりに着いてみたら今までのリージョナルが嘘のようにぎゅうぎゅうの客席。
おーこりゃすげぇ。
期待しながら暗転を迎える。

登場人物は四人。
断片的に記憶を無くしてしまう障害を持つ晶と薫。
彼女と彼のもとに、ある日 誠という名の少女がやって来る。
彼らはかつて重大な罪を犯し、しかし犯行時の記憶が無いために裁かれることはなく、治療という名目のもと、病院に隔離されている。
彼らのもとに、毎週月曜にやって来る自称ジャーナリストの男は、彼らの実体験に基づくルポルタージュを本として発表することにより、犯罪を犯した障害者の現状を世間に訴えたい、と言う。

晶は大人の男が何故だか怖いと言って、その男に会おうとはしない。
薫は自分を施設から出してくれると信じ、その男をひどく慕う。
彼には他人には聞こえない音楽が聞こえ、声が聞こえ、行列をなすハタラキ蟻が見えてそれを潰さずにはいられない。
嗜好や思い出のひとつひとつが、あまりにも似すぎている晶と誠。
誠は、卒業式の帰り、バスに乗っていたところで記憶が途切れていると言う。
彼女は晶に、今は2010年だと告げられ、四年分の記憶をなくしていることを知る。

しかし、真相を男が暴く。
彼は誠が「帰って来る」日を4年間、待ち続けていた。
誠が晶を、晶が薫を、「辛い出来事」を受け止めきれずに、彼らは彼らを生んだのだ、と男は言う。
晶と薫は誠が自分の内に作り出した第二、第三の人格。
彼女は、多重人格障害者だった。

誠は幼い頃、日常的に、画家であった父に、彼のアトリエで、性的虐待を受けていた。
母は見て見ぬ不利をし、娘を嫌悪することで彼女を見捨てた。
誠は、過酷な記憶を晶にゆだねることで自分の身を守った。晶もまた、それを薫に託すことで傷つくことから逃げた。薫は、それを忘れ、ちょっとバカな子になることで、その記憶を捨てた。
彼らは、彼らを守るために生まれた。

悲痛な話を、重すぎず軽すぎず、かつ社会的すぎずに描いていて、いいホンだと思った。

男の書く本は結局は体の主体である誠についてのもので、「自分が主人公の本を出してもらってココから出るんだ」と信じていた薫は、そのことに激しく嫉妬する。
裏切られたと感じる。「だって僕の本だって言ったのに!」と、何度も何度も。
優越感は誰だって持ちたい。彼の姿に切なくなった。
でも彼は晶のことを大事に大事に思ってた。おじさんが本を出せば、晶も一緒に出られるんだって信じてた。
人には見えないものが見える彼には、そばにいる唯一の人である晶が、本当に本当に大事だった。
だって薫は晶を守るために生まれたんだから。

人気の理由は、人の孤独について言及していたからかなと思う。
分かりやすいし、話の展開に意外性があるし、感動して泣けるし、希望のある終わり方だし。
そうやって、「いいお芝居だった」て言って貰えるんなら、それでいいんだと思う。
分かりやすくて、答えらしきものをくれちゃって、いいんだと思う。
そういうこと批判する風潮にあるけど、やっぱり、ほろり泣けて、いいもの観たなって気持ちが人の心の中に残るんなら、それでいいんだと思う。

久しぶりに素直に泣ける芝居を観た気がする。
現代人は、みんな自分は孤独だと感じているんだねぇ、きっと。

フライヤーを見た時はやる気ないなーコレ、と一笑に付しましたが、いやぁ、やっと足を運んでよかったーと思えるものが観れて、嬉しい。
しょぉーじき、前ふたつは、ちょっとないなーと思わせてしまう作品だったので。
特に現代時報。学生演劇以下だった。素晴らしくつまらなかった。そして下手だった。
早稲田演劇を少し見直しました。やっぱりそれなりにチカラはあるのかもしれない。

薫役の江田 由起浩さん(河相我聞似)は、お若く見えましたが33歳だそうです。20代で通用しそう。
今回の芝居が当たったもうひとつの理由に、こちらも北海道は稚内出身の兄弟ユニット「SE-NO」が楽曲提供をしていたせいもあるのではないかと思います。
ナマ歌ではないんだけど、芝居のなかでテーマソングとして歌われてまして、芝居終了後、二人のライブパフォーマンスがありました。
なかなかいい歌声でしたよ。CD買ってる人が沢山いた。やはり若いおねーちゃん達。

SKGの主宰で脚本・演出を担当している すがの公さんやSE-NOの話から、「東京に来れた」というのはやはり非常に大きいことのように感じられているようです。
そりゃそうだ。札幌も都会だけど、やっぱり地方の人間にとって、「東京」って特別な場所なんです、きっと。
さんざん喋ってライブまでやって引っ込んだのに、カーテンコールあってビックリ。
SE-NOのお二人、感極まって泣いてました。男泣きは、いいね! 好きだ。

TIFとしては大成功の公演だったのではないかなと思います。よかった。
三月になりますと、イスラエル、クウェート、ドイツと、海外公演が続きます。
更にサラ・ケイン、サミュエル・ベケット、太宰 治の戯曲に挑戦する日本公演もバンバンと。
お時間あります方は是非、西巣鴨まで足をお運びください。
貴方のために、ゆっくりくつろいで頂けるカフェスペース作りに、汗を流していた我々です。
一般価格を多少 安くすることも可能ですので、興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ひと声おかけくださいな。

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そんで、二本目は友達の出てるミュージカル作品を。
いつも観に行く観に行くって言ってドタキャンしてたので、彼女を見るのはコレが二回目。
Lylac tone#6「Angela!」。四年生主体の団体のようで、今回で終わっちゃうのかしら。

可愛らしいお話でした。よく出来てるし、歌もちゃんと聴けたし。
ミュージカルは分かりやすくていいね。話を難しくしようがないじゃない。
「キレイ」は複雑だったけど、あれは例外的な気がする。
「レ・ミゼラブル」なんかも複雑なんかな。 「ベルサイユのバラ」みたいなもんかなと思ってるんだけど。種別的に。

楽しそうに演じて歌う友達の姿は、気持ちがいいね。
好きなことを頑張ってやってキラキラしてる人を見るのは清々しい。
それが辛い時期もある訳だけどさ。今は比較的、気持ちよく見れる。

先は読めるしオチはあっけないし、詰めは甘いけど、まぁ それはそれで。
何度も言うが、現代時報よりは良かったさ。うん。
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by ling-mu.m | 2006-02-26 22:53 | 芝居/舞台
桜飛沫
途方もなく眠いので後で加筆ということで・・・。
取り敢えず観たということだけ。
阿佐ヶ谷スパイダースの「桜飛沫」を世田谷パブリックシアターにて。
本日の喫煙所は近藤良平さん。傍らには奥さんらしき人が。
至福団の福澤諭志さんが舞台に立っていらしてビックリ、ということだけ取り急ぎ。

三日連続で芝居を観に行ったら三本ともカメラ入ってやがった。くそー。損した気分。
今月の残りはバイトの合間を縫って(ホントにどうにか隙間を見つけて)TIF2006のリージョナルシアターシリーズを観ることに必死になります。
バイトするアタシと芝居観るアタシと、二人いればいいのにねー。と、コピーロボットを夢見ながらお休みなさい。
ああーでもその前に荷造りしなきゃっ。
明後日からちょろっと浜松帰ってきま。
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by ling-mu.m | 2006-02-17 01:38 | 芝居/舞台
同伴歓迎
お知らせです。
アタシがサポートスタッフやってる東京国際芸術祭、略してTIF2006では、東京以外で活動する小劇場を紹介する「リージョナルシアター・シリーズ」上演を行っています。

今年の演目は

劇団Ugly duckling(大阪)『改訂版さっちゃん』 2/17~19
現代時報(盛岡)『親密な他人』 2/21~22
劇団SKグループ(札幌)『再演A。』 2/25~26
北九州芸術劇場×飛ぶ教室(北九州)『IRON』 3/3~5

の4団体。
それぞれ公演期間はわずかですが、どれも興味深い芝居。の、筈。
詳しくはこちらを見てもらうとして→http://tif.anj.or.jp/

この中のUgly ducklingと現代時報に関して、アタシと同伴の人は入場料がタダ! になります。
2300~2500円が無料ってのは、結構 大きいと思う。
加えて、普段なら観ることのできない地方劇団の公演。
なので、折角の機会だし是非とも観て欲しいかなと、お誘いの旨を載せてみる訳です。

場所は池袋駅から徒歩三分の東京芸術劇場小ホール1です。
Uglyは17日の19:00~、現代時報は22日の19:00~、それぞれ観る予定なので、行くぞーって人はメールででも ご一報ください。
全席自由なので、別にアタシと隣合って座らなきゃいけないってことはないから安心してよいですわよv

TIF2006、まだまだ盛りだくさんで皆さんをお迎えします。是非、足をお運びあれ。
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by ling-mu.m | 2006-02-15 21:35 | 芝居/舞台
間違いの喜劇
本日5*回目のバァスデイな母を連れ、彩の国さいたま芸術劇場へ。
蜷川幸雄・演出「間違いの喜劇」を観る。
目的はドローミオ役の高橋 洋と、イジーオン役の吉田鋼太郎。

シェイクスピア作品の中でも、相当 短いこの作品。休憩無しで二時間でした。
もしかしたら一時間半でもいいかもしれない。

タイトルに付いている通り、コメディです。
二組の双子を周囲の人がさんざん取り違え混乱し、最後には生き別れていた一家が再会してハッピィエンド。
あらすじは世田パブにて「間違いの狂言」を観たことがあったので心得ていて、正当にシェイクスピア作品らしいしゃべくり芝居を存分に楽しむことができました。

舞台背景は鏡面になっていて、蜷川さんて同じ手法ばっかだなーと思う。今回は特にそれが生かされている感じもなかったので、意味があるのか疑問。面白いけどね。
照明・音楽はほとんど地明かりで、渋いというか地味というか。でもうるさくなくてよかった。役者の演技を信頼してるのかなと思う。
効果音は非常に古典的。殴る音とか足音とか。わざとらしすぎて、それはそれで面白いと思う。

兄探しの旅に出たアンティフォロス弟(小栗 旬)とその召使いのドローミオ弟(高橋 洋)。
シラクサの国から、敵対するエフェソスの国にやってきた彼らは、実はそこで長年暮らす、幼い頃に生き別れたアンティフォロス兄とドローミオ兄(名前が同じなのだよ。いい加減というかご都合主義というかのシェイクスピアさん)と取り違えられる。
アンティフォロス兄弟とドローミオ兄弟を、それぞれ一人で二役する。
アンティフォロスはマントが赤と白、ドローミオは帽子が赤と白、という色分けがされ、観客には示される。

アンティフォロスの衣装が格好良かった。
ドローミオは激しく道化者で、格好もピエロ。口の達者なドローミオに最適な格好だと思う。

高橋 洋が喋る喋る。たぶん一番 台詞の多い役。流石の高橋、なめらかによく回る口を演じてました。素晴らしい。
一方の小栗は、肩に力が入ってるというか柔軟さがないというか、ガチガチの喋りと演技で高橋との力量差が明瞭になってしまってた。
舞台経験それなりにある筈なんだけどな。次の「タイタス・アンドロニカス」にも出るくせに。
まぁ まだ若い人だから、これからの伸びに期待。

最後にそれぞれの兄弟が再会するシィンはどうやられるのかしらん、と思っていたら、普通に違う顔の人が出てきて、声だけ小栗と高橋が腹話術で喋る、という戦法でした。
うーん。微妙。
ここで鏡が効果的に使われるのかと思ってたこともあり、ちょっとがっかり。
でも「天保十二年」では録音音声だったので、それよりは生声のほうがナンボかマシかなとは思いますが。
高橋さんが腹話術うまくてビックリ。口があまり動いてないのにちゃんと声が張れてる。
小栗は普通に喋ってました。ガンバレ。

吉田鋼太郎さんは長髪が素敵すぎた。かっこいいなー。「タイタス」観たいよー。でも埼玉はやっぱり遠いです。
今回、役者は全員 男な訳ですが(シェイクスピア時代のやり方にのっとっているらしい)、ルシアーナ(アンティフォロス兄の奥さんの妹。最後にはアンティフォロス弟と結ばれる)の声がちゃんと女の人でビックリした。華奢だし綺麗だし。女形さんなのかな。

帰り際、母がしきりに誰かを見ろというので視線を向けたら、客席に「相棒」の水谷 豊がいました。
彼女は「相棒」大好きなので喜ばしかった様子。思わぬサプライズでよかったねママン。
水谷さん小さかった。
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by ling-mu.m | 2006-02-15 19:44 | 芝居/舞台