カテゴリ:芝居/舞台( 85 )
キル
朝6時に卒論を書き上げ、仮眠をとってから渋谷にて観劇。
年末年始恒例(にしたい)野田地図をうっかり逃すところでしたが、お友達からお誘いを受け今年も行くことが出来ました。アリガトウ暁ちゃん。遅刻してゴメン。

NODA・MAP第13回公演「キル」を、シアターコクーンで。
久し振りに行くコクーンは何かちっちゃく見えた。アタシがデカい人間になったということか(違)。
再々演ですが観るのは初、戯曲自体は確か2年前ぐらいに読んだ。

主演が妻夫木聡/広末涼子ということは直前まで知らず。
面白いところでブッキー起用したな野田さん、て思う。
ここに来て舞台デビューだったんだ妻夫木。意外。
舞台を一度でもやってるところを見ないと、映像に向いてる人なのか舞台向きの人なのかって分かんないんですけど、アタシは。
彼は映像の世界の人かなって思った。
決して嫌いじゃあ なかったけれども。

逆に広末さんは、舞台やってても違和感ないけど今回はこの人じゃなくてもよかったんじゃないかな、て、ごくごく個人的な意見。
やっぱり定期的に見てないと見る目って痩せる。
随分 長いこと芝居を観てなかったので、すごくそう感じました。
そんで、あああやっぱりこの、暗転してシンてなって物語が始まるの待ってるのが好きなんだなベタだけどな! て思ったすごく。

栄養補給したな、て、芝居を観たってことに満足。

去年の「ロープ」が、アタシの頭の中での最後の野田さんなのでやっぱり覚えているのがそれで、比べると「キル」は言葉遊びふんだんで、それが紛れもなく野田秀樹の色なんだけど、やり過ぎじゃね? と思ってしまった。
先に戯曲を読んでたってことが大きいのかもしれないけど、目で読んだ方がぐっと来るなぁ、と。
ひとつの音にどんどん意味が付加されていく、今回だったら「着る」「切る」「KILL」が代表の、それが迫ってくる圧倒的な力を感じるのは、断然 耳で聞いた方がいいんだけども、合点がいくのは目で読んだ方がそれはそうだよね。
嫌いじゃないんだけどね、その応酬に飲み込まれていく感じは。

今回は嫌いじゃないんだけどね、どまりなことが多かった気がする。
音楽も、これでもか! ていう わざとらしさ、派手派手しさで、分かりやすくていいんだけど、ちょっと映画みたいだった。
ここぞというところに感動的なBGM流す、みたいな。

割と明確な答えをくれる終わり方をしていないから、そういうところでバランスを取っているんだろうか。
でも、幸せな風景で終わってくれたのは良かった。
死ぬ時は幸せな風景を見ながら死にたいよね、それが夢とか幻であったとしてもね。

ブッキーの腕、筋肉もりもりだったなっていうのと、ワキ毛濃かったなっていうのが印象深いって言ったら好きみたいだよねブッキーのこと。いやまぁ嫌いじゃないけど。
印象的な顔を幾度かしたので、今度 違う舞台をやるようなことがあったら ちょっと興味を持ってしまうなと思いました。

そんで中山祐一朗、相変わらず可愛いな大好きだなっていうのも、ちゃんと思いました。
ちゃんとチェックしなきゃな好きな人たちのことはな。

今月はお芝居いっぱい観に行くから幸せです。
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by ling-mu.m | 2007-12-13 02:20 | 芝居/舞台
ロープ
2006年の締めはNODA・MAP「ロープ」でした。
渋谷はシアターコクーンにて。去年の締めも野田地図だったなー。
不幸にも最前列だったので少しばかり腐りましたが、まぁ宮沢りえ間近に見れるんだから・・・と、心を沈めて頑張りました。
いやしかしでも、やっぱり最前列はよろしくないね。全体が捉えられない。物語の中に入り込む、ということはどうやっても不可能です。悔しい。

舞台上にはロープを張られたリング。
弱小プロレス団体の社長が死んで、その息子でレスラーでもあるヘラクレス(藤原竜也)は、自室に引きこもって出てこない。
相方のカメレオン(橋本じゅん)とレフェリーは、グレート今川(宇梶剛士)との試合を明日に控え、どうにか彼を出てこさせようとする。
そんな彼らを隠し撮りしようとするテレビ局のディレクター(野田秀樹)とAD(三宅弘城)とディレクターの妻(渡辺えり子)。
そして、リングの下に棲みついていると言う「未来から来たコロボックル」のタマシイ(宮沢りえ)。
舞台の壁面には、数字とアルファベットとまた数字が、整然と並んでいる。


今回は、どうなの? という出来だった気がします。
好きくない、ということもない。
でも、会心の出来! という訳でも、なさそう。
物語も演出も演技も。
イマイチ。

宮沢りえは細すぎ。びびる。
その細さが、張り詰めた緊張感を醸し出してるんだろうか。
肉体っぽくないカラダ。

藤原竜也は今回オトナシめな感じがした。
そういう演出をされたのかな?
「オイル」の時みたいに、台詞が入ってこなかった。それは、この芝居全体に対しても言えることなのだけど。
肌が荒れ荒れなのが ちょっと気になりました。

渡辺えり子、初めて見たのかな。
この役をこの人にしたってことは、あんまり重要人物として扱いたくないっていう作者の思いがあったのかしら。
演技はそんなに好きじゃないけど、この人にして正解だったなーと思った。
今回、キャストのバランスはとてもよい気がする。

個人的には中村まこと に拍手。
好きです。


プロレスとベトナム戦争を交えて、暴力と正義のおハナシ。
野田氏の言葉づかいの上手さはもちろん相変わらずで、でも、あまりに それが上手すぎて、すーって、通過しちゃった感じ。
響いてこないんだ、胸のここんところまで。
響いてこないってところに、問題意識を向ければいいんだろうか。
何で響いてこないのか。
プロレスのリング上で起こる戦いだから。
ロープの中で繰り広げられる惨事だから。
そんなことで響いてこなくなる自分が問題?
自分の構え方が問題?
うーん…だとすれば、訴えられた意義はあるのかな。

  青年の純情は愚鈍。愚鈍は鈍感。
  敵の顔を見えなくする。

という主張。
すごくストレートに言ってくるなぁ、と思った。
野田氏ってこんなにストレートにものを言う人だったっけ?
真っ直ぐなあまり、それを ど真ん中で受け止める度胸が自分にないだけかもしれない、と思う。
なんっか こそばゆいですよ。とか思っちゃって。
それはそれで問題。
いや、でも直接的に戦争はいけませんよ、とは言ってないんだ。そこは言ってないんだ多分。
そういう、どうしようもない大きなちから、暴力、を、乗り越えなきゃいけないんだ、ていうことかなテーマとしては。
そういうものに屈服した後にも未来は続いてるんだ、日々を続けていかなきゃいけないんだ、ていう。
それだったら受け止められそうな気もする。


テレビと戦争。
9・11を、これでもかと言うほど意識している内容。
わざわざベトナム戦争を持ってきたのは、「よく晴れた朝に四時間で殲滅された村」という衝撃さを使いたかった故か。
あざといな、という思いを抱いてしまう自分が問題?


壁面に書かれた文字が、番号で数えられた死者の名前とその享年、だと気付いた時には少しぞっとしました。
そういうの、提示しちゃうんだ、て。
でも それは演出だけど事実で。
虚構の向こうに厳然と示された現実。それはちゃんと受け止めなきゃいけないこと。
恐れをもって受け止めなきゃいけないこと。
それをただの文字の羅列として見てはいけないんだということ。
それは、観客の義務だと思った。



「シアターコクーン」でここまで「ストレート」に「戦争」を題材にした「芝居」をやって、集客して利益が上げられるのは、やっぱり野田秀樹だからなんだろうなぁ、と思った。
野田秀樹が、やんなきゃいけないことなんだろうなぁ、と。
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by ling-mu.m | 2006-12-28 18:44 | 芝居/舞台
あ、ぶれた
月曜日、神楽坂Die PratzeにてKeM-kemunimaku-project 「あ、ぶれた」を観る。
「ダンスが見たい!新人シリーズ4」で新人賞を受賞したごほうび、なのかな。
友人が主宰する三人のグループです。

60分ガチでダンスなんか観れるのか自分・・・しかもバイトあがり・・・という不安もありましたが、いや、面白かった。うん。
前回は線の上をひたすら歩く→走る というものでしたが、今回はちょっと進化(?)してて、見たことない動きが入ってきてて二度三度 お。てなりました。


暗闇の中から浮き上がるシルエット、互いに絡み合いながら着かけの服(ワンピース)をゆるゆると着ていく三人。曲はリスト。
やがて三人が左向きに一列に並び、差し出した両手に水を受ける。右向きに反転し、歩きながら線上に水をこぼしていく。
それから、また こないだのように、歩く。歩く。歩く。
今回は縦ではなく横で。
相変わらず、揃いもせず互いに目線や言葉を交し合うこともなく、単調にひたすらに、前だけを見て、歩く。

正直ゴメン、アタシは途中で一度ガクンと落ちました。ふわっと、違う世界へ。
でも その時に耳だけが冴えていて、ああ三人とも足音が違うんだ、ということに気付いたのは新鮮だった。
ためしに目を開けて足音を聞いてみたのだけど、目を閉じている時ほど鮮明に違いが分からなかったのは不思議。
単なる自分の鈍感さ かな。そうかもしれないけど。

じりじりと、こちらの忍耐力が試されるように歩き続けられて、変化を待ち続けて、そうしたら今度は各々がてんでバラバラに、好き勝手な方法でもって線をたどるようになる。
寝転がってみたり這ってみたり跳ねてみたり。
その姿は、自由奔放な筈なのだけど、何処か息苦しくて、闇っぽいものを感じさせなくもないもの。でも それは各自の心の問題かもしれなくて、自分の好みに終始するのかもしれない。
そういう風にアタシには見えた、という話で。
何でか、痛い。
歩くだけ、という、ある意味ひとつの秩序・規則から解き放たれた姿、にしては、重くて、枷があるように思えて、この辛さは何なんだろうなぁ、と、思いながら、見てた。
泣きたくなるなぁ、て。
ただのアタシの感情過多かもしんない。情緒不安定なのか。

お。て思ったのは、それぞれが線を描いていたのが終わって、三人揃って肩をくっつけて早足でぐんぐんぐんぐん、て歩き出した時。
初めて、三人が互いの存在を見つけた、風に見えた瞬間。その空間が交わって融け合って、ひとつところにいるように見えた瞬間。
でも あくまでペースは自分本位で、置いていかれるパーツは容赦なく置いていかれる。早足から駆け足になって、スピードが きゅるきゅるきゅるって上げられて、風穴が開いたみたいな。
引きこまれる感じ。

そんで、ドカンときたのが ゆらゆら帝国ですよ。
ワンピース脱ぎ捨てて、ゆら帝をBGMにヘッドバンキングですよ。しかもストロボですよ。
あんなに互いに無関心だったように見えた三人が、押し合い へし合い。
コマ送りの、パラパラ漫画の世界。そこに見える混沌。
がっちゃがちゃ の世界。



うん。楽しかった。
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by ling-mu.m | 2006-08-25 00:57 | 芝居/舞台
噂の男
生協まで出向いてコンタクトを購入後、学校図書館に寄ろうとしたら軒並み休みで(お盆前なんだからやってろよ!)、仕方なく周辺の本屋をぶらついたあと、目的地の渋谷まで行ってしまって、金曜夕方の雑踏の中ゆっくりめに歩いたにも関わらず、パルコ劇場に開場五分前には着いてしまいました。早。でも既に来てる人は予想以上に多。当日券でもないのに何故。

で、観て来たのは福島三郎・作、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「噂の男」。
脚本の福島氏についてはアタシは全く知らず、名前すら知らない人の書いた作品を観に行く、というのも、そう言えば久しくなかったなぁと観劇後に気付きました。いかに狭い観劇の仕方をしているか、ということにも繋がりますな・・・反省。
ケラさんが演出して八嶋智人と山内圭哉と橋本じゅんが出る、しかもパルコ、てことでチケットを取ったのですが、いやぁ、面白かったです。

関西の演芸場の舞台袖、階段をのぼれば(お芝居上の)舞台の下手、階段下にはボイラー室への扉。(実際の)上手にはホワイエに通じる扉・・・・・・て、うん、なかなか面倒くさいな説明しようとすると。な。
ま、とにかく舞台に立つお笑い芸人たちとその周辺の人間の悲喜こもごも、という話。
ダークで毒っ気のある台詞や話運びは、何処かしらケラさんに通じるものがあるように思えました。割と筋道だっている辺りは長塚氏っぽくもあるかな、とも思うけど。
何にしろ、結構 好みの芝居でした。

ボンちゃん(山内)は、彼より先輩の筈なのに腰の低いトシ(猪岐英人)の妻で相方のアヤメ(水野顕子)と、旦那公認のもと出番前にヤッてるような売れっ子芸人。
売れるためなら手段を選ばないのか、彼は演芸場の支配人・鈴木(堺雅人)とも関係を持つ。
その鈴木は、業界に入った当時「パンストキッチン」というお笑いコンビのマネージャーをやっていた。飛ぶ鳥を落とす勢いだったコンビはしかし、ボケだったアキラの事故死により事実上、消滅。
残された相方のモッシャン(橋本じゅん)は、一人で仕事を続けていたようだが、数日前から行方不明。
アキラの12年目の命日に、ボイラー技師・加藤(八嶋)が演芸場のボイラー室を訪ねたことにより、過去の出来事が明るみになっていく。

サスペンス調のちょっぴりだけヒューマンドラマ。という感じでしょうか。コメディ、と言うにはダークだし、シリアスかと言えばそんなこともないのだが。まぁ、要はいい塩梅で。
ボイラー室を構えた舞台袖、という同じ場所を軸に、時間は現在と過去を行き来する。
無害に思われた人々が何かしらの罪を持ち、恨みを持ち、隠しに隠した、抑えに抑えたそれが噴出して描かれた地獄絵図。
舞台は関西、ということもあり、台詞は関西弁でした。それが新鮮でキモチイイ。堺以外はネイティブなのでしょうね、勢いも凄いものがある。
堺だけは標準語で、無理をしない、というのもあるのだろうが、お笑い、という輪の中には存在しない、外からそれを見つめる立場というものを明確にする役割も果しているのだと思う。

実際に消えて見なくなった芸人の名前を挙げるシビアさがいい。きっと それってテレビじゃタブーだから舞台ならではのものだし。
演技力は二重丸の人ばかりだから(堺はそうでもないか、と思っていたけど意外にいい芝居をしていたように思う。見劣りすることはなかった)、すごく安心して見れるし。

八嶋が、ぎゃんぎゃん煩いんだけど根っこに暗い恨みを持つ役を好演していたのが印象的。
濡れ衣を着せられた親父の復讐だ、と言ってホッシャンをギタンギタンにしようとするあたりは、その切実さが胸にきて痛かった。
これでもか、というほどに傍若無人だったホッシャンが、今となっては半ばキチガイの廃老人になっている姿が、涙を誘う。で、また、それがラストの実は正気でした、というシィンとのギャップで嫌ぁな気分にさせられるところが、また。うわぁ、やられたわぁ・・・という脱力感と苦さを誘う。
最後まで見てみれば一番まともな人間だったかもしれないボンちゃんを山内が演じている、というのも、なかなか興味深いキャスティングだと思う。理性の人、という感じではないから。

色んな人の想いが交錯して、すれ違って、しかも人間の気持ちって多面的で決してひとつに決まるものじゃないんだ、という事実が切ない。
どれが本音でどれが建前で、と言うことすらできない複雑さと気まぐれさを抱えている。

その点、加藤の気持ちは一番スカッと筋が通っていて、だからこそ彼の復讐が果されなかったこと、ホッシャンをボコボコにしながらも気持ちが晴れなかった姿は、悲しいものがある。
鈴木も、アキラを信じていたという点では真っ直ぐだったか。しかし、その真っ直ぐさが彼を不幸にしているのだよねぇ。可愛そうな人です。

お互いに、相方によって支えられていると考えていたパンキチの二人。
面白いのは自分じゃない、相方なんだ、と考えていた二人。
ものすごい不安の中で、活動していたのだろうし、生き残ってしまったホッシャンは、そりゃあもう辛かったろう。
しかしまぁ、一番 図太かったのも結局はこの人なのかもしれないけど。

他人に笑いを与える人間の舞台裏、というのは、なかなかに気持ちのよくないものでございましたよ。

二時間半で休憩ナシは辛かったけど、充実していたからまぁヨシ。
ケラさん脚本じゃないけど長かったなぁ。
若くして死んだコンビ芸人の片方の死因と享年を途中で字幕出しするのは、要らん演出のように思えた。何かシラけるのは、アタシが彼らの殆どを知らないがためか? 知ってる人なら、懐かしさと切なさを思い起こさせるものだったのかしらん。だったら あってもいいのかもしれん・・・。
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by ling-mu.m | 2006-08-12 00:40 | 芝居/舞台
蜜の味
日曜日、北仲WHITE内のペピンポートにて、ペピン結構設計アトリエ公演「蜜の味」を観劇。
馬車道の整備具合とか夕方の閑散とした雰囲気とかが、なかなか好みで小さく浮かれる。北仲WHITEの建物も素敵。ごちゃごちゃしたナンデモアリ感が、よいね。

慶應大学SFC出身の人々による劇団。慶應系(というものが果たしてあるのかどうかすら分からないが)の芝居を観るのは初めてです。メンバーは卒業して それぞれ社会人やってる、というのもあり、その特色というものが(あるとして)、出てるかどうかは、どうなのかしらん。慶應の他の芝居を観てみたら、分かるのかもしれません。

アトリエ公演のため、完全予約制。キャパちっちゃい。50人・・・は、入れない、かな。どうだろ。
テラスみたいのんが客席用に設えられてて、扇風機が回ってる。ドライアイスも配られました。要は、暑いハコだった、ということ。


舞台は海の近くの田舎の町。人体に悪影響を与える飲み物だというんで、コーラの売買が条例により禁止され、徐々にコーラが姿を消す中で、コーラ屋を営む清子と ときえ姉妹。
二人のもとに、行方不明になっていた兄・安治が突如として帰ってくる。
店の常連の島田兄弟。店にコーラを卸している じゃこ。安治の幼馴染、リリー。
ちっちゃい町の、ちっちゃい店の、ちっちゃい夏の出来事。

とても、分かりやすい話だった。かと言って単純だという訳ではなく、いくつかの小道具が伏線として うまく使われていて、なかなか飽きない。面白く観れたと思う。
物語が発露していた、いくつかのこと。
兄弟愛。嫉妬。夢。現実。逃げるということ。
どれも身近で、身に覚えのある ことごと。切実に感じられること。

しかし、いささか散りばめすぎでは? という感は否めない。
どれも同等に扱われてしまって、メリハリが見えない。どれを大事に受け止めていいのか分からない。
全体的に、直球に見せかけて実は手元で落ちる、といった台詞が多い中で、要旨と思われるものを語るときの それは、とても素直な真っ直ぐで、そのせいか、どうしても軽く、言ってしまえば陳腐に思える。
何でここをストレートで投げちゃう? みたいな、肩透かし。

現実の出来事の合間に挟まる、夢とか妄想とか、そういうシィンの表し方・つなげ方は非常にうまいな、と思ったのだけど。
最初の二十分くらいの印象で、これは小説で読みたい話かもしれない、と思ったのだけど、夢やら妄想やらの、そういう演出はやはり舞台ならではのものだから、そこらへんを もう少し、うまいことやってくれたらなぁ、という物足りなさを感じた。



帰り道、東横線の馬車道駅。改札に降りる前のだだっ広いコンコースに、見渡す限り人がいなくて、自分ひとりきりで、日曜とは言えまだ22時ですけど、と思いながら、妙に楽しくなってしまった。
人のいないところに、行きたいなぁ。
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by ling-mu.m | 2006-08-08 23:33 | 芝居/舞台
開放弦
渋谷はパルコ劇場にて、パルコ+リコモーション プレゼンツ「開放弦」を観に行く。
パルコ劇場は大好きな劇場なので行けるだけで嬉しい。
それに加えて作・倉持裕なのが、また嬉しい。演出はG2。後藤ひろひと と組んだ舞台しか観たことがなかったので、笑いが抑えめの世界観は少し新鮮でした。

キャストは、大倉孝二・水野美紀・京野ことみ・丸山智巳・伊藤正之・犬山イヌコ・河原雅彦。
なかなか豪華です。

上手に木造の古い一軒家、下手に積み上げられた土嚢と雲が浮かぶ青空のスクリーン。
舞台は農家。米作りを生業としている、東京には程近いだろう田舎。
仕事の傍ら、バンド活動をする遠山(丸山)・門田(大倉)・依代(京野)。遠山と門田は農家、依代は町役場の受付。かつて依代と遠山は付き合っていたが、遠山が、害虫のみならず稲まで食べつくす種類の鴨を繁殖させ、近隣の農家を壊滅的な状態に追いやり しかも莫大な借金を抱えた過去から、別れてしまっている。
依代はヨリを戻したがっており、しかし遠山は前触れもなく恵子(水野)と結婚してしまう。
不自然な二人の関係に依代は疑惑を持ち、事情を知る門田はイライラと二人を見守り続ける。
ところで彼らが結成するバンドの曲がインターネット配信でバカ売れし、CM曲にも起用される。
しかし、そんな折に遠山が車に轢かれ、右手が動かなくなるという事故が起こる。
事故を起こしたのはどちらも漫画家の進藤夫妻(河原・犬山)で、妻の素江は売れっ子だが夫の進藤は最後の連載が打ち切られたばかり。
二人は遠山の家に通いで訪ね仕事や家事を手伝うことで、罪を償おうとする。
そこへ、素江に仕事をさせようと担当編集者の木戸(木村)がやって来て彼女を連れ出そうとし、事態はそこはかとなく面倒くさくなっていく・・・。

と、いうような話。
遠山と恵子は偽装結婚で、恵子は農協の会長・安西(お金持ち)の愛人だったのだけど、おそらく妊娠を理由に別れを告げられ、遠山は恵子との結婚を条件に借金を肩代わりでもしてもらったのだろう、二人の関係はあまりにもギクシャクとしていて、おかしい。
しかし、そんな二人が、特に遠山が、気を遣いながら、どうにか相手に寄り添おうとする、でも事情が事情なだけにうまくいかない、そんな姿が絶妙。
せつねー。て、なる。
切ないのは彼らだけじゃなくて、若くて可愛くて今でも遠山のことが好きな依代のワガママで奔放なところとか、遠山と依代を心配してキレてばっかいる門田とか、魔が差して恵子に言い寄りたい進藤とか、進藤より売れちゃってることに何か罪悪感を感じてる素江とか、自分で空回っちゃって何でか知らんが素江が好きだとか言い出す木田とか。
いい大人たち、みんながみんな、不器用で馬鹿で切ない。

第一部85分、第二部55分。ちょっと長い。休憩のとき、すごく倉持さんっぽい話の進み方だけど、これは少し長すぎじゃないか? と、正直 思った。
が、二部を見終わってみると不思議とそんな感覚はなく。
あ、まぁ ちょうど良かったかも? なんて、騙された気分。

人間を真っ正面から描いているところが、倉持裕だなぁと思いました。

京野ことみ細い。びっくりする あの足。何。
最初はひっかかる「演技」がいくらか鼻に付いたけど、観ていくうちに薄れました。しょーもないお嬢さんというキャラが、よく似合っていたよ。
大倉孝二はいつもに増してキレっぱなしのキャラで、いやぁ似合う似合う。キレさしたら日本一だろ この人。しかもいい奴。曲がったことの嫌いな、小さい奴とも言えるが。いやしかし、友達思いの、実直な人です。
水野美紀は途中まで彼女だって気付かなくて、気付かなかった自分にビックリした。何かの台詞で彼女の声だ、て認識したんでした。恵子さんはずるい人だな。中途半端にオトナの女です。

多少 冗長さを感じなくもないが、ストン、と素直に入ってくる物語だったように思います。
ギターと鴨っていう小道具も満遍なく生かされていたように思う。
場転前の、それぞれの心象風景を表すような寂しい感じの演出も、効いてたし。
実はG2があんまり癖のある演出をする人ではないのか、と考えを改めました。
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by ling-mu.m | 2006-07-30 22:59 | 芝居/舞台
ウィー・トーマス
渋谷はパルコ劇場にて「ウィー・トーマス」を観劇。
英国の劇作家マーティン・マクドナーの戯曲を、長塚圭史が演出。翻訳もやってんのかな、と思ったら違う人でした。流石に忙しいし、無理か。

翻訳劇を観るのは、割かし珍しいかと思います。
テレビで海外もののドラマ(ERとかフルハウスとか)を観ると感じる言語への違和感は、やはり舞台にも同じように存在し、しかし別にそれが不快とか嫌いとか言う訳ではなく、それはそっれとして、楽しみます。
でもやっぱ喋ってるのは日本人だからな。入り込むのは、少し大変。

2003年に初演したものを、キャストを変えて再演。
この初演時のキャストがさー。北村由起哉に中山祐一朗に板尾創路、ていうヒトビトで、もう断然そっちの方が惹かれる訳ですが、今 言っても仕方なし、と。その頃のアタシは受験生だ。

ウィー・トーマスという名の黒猫が死んだところから物語は始まる。
彼はパドレイク(高岡蒼甫)が五歳の頃から唯一の友として可愛がっていた猫で、何者かにより頭を潰されて惨殺。死体を見つけたデイヴィー(少路勇介)がパドレイクの父・ダニー(木村祐一)のもとへ連れて行くが、きちがいパドレイクと呼ばれるクレイジーな息子の猫が死んだとあって、二人は その事実をどう隠そうか画策する。

ドタバタ劇。と言うと、いささか軽いか。
ものすごいブラックコメディーですよ。黒い黒い。もー真っ黒ですよ。
いたーい痛い痛い痛い痛いってば! てなる。
心理的にもだけど、物理的に。いや、物理的には痛くないんだけど、でもやっぱり何か、皮膚感覚として。とても痛い。
銃がぶっぱなされる度にびくつくアタシ。なんでこう正視できない舞台を作るか長塚圭史…。
サドだなーと思う。

マッドな人ばっか出てくる芝居でしたよ。
パドレイクもダニーも、パドレイクを殺そうとするクリスティ(堀部圭一)もその仲間も、パドレイクに恋するマレード(岡本綾)もみんな。みんな狂ってる。
狂ってる人間て、本人は気持ちがいいんだろうね。ワガママし放題だもんね。
それを目の当たりにする、もしくはそのワガママの対象になる真人間は、どうしたらいいのか、という選択肢すら与えられずに、繰り広げられるワガママな惨劇に晒されなければならないのだね。実に理不尽なハナシだ。
幸い、物語中には真人間はいないから、そういう理不尽さは観客のみが被ればよかったけども。
いちばん真人間ぽかったデイヴィーも、結局はマッドな部分を持っていて、だから正気を保てていたのだろうなと思う。
こういうキチガイ沙汰は、日本人でも成り立つだろうか?
・・・・・・どうだろうなー。
まず、銃で簡単にぱーん! てのが、日本人には似合わない。かと言って、日本刀や包丁じゃ、この芝居のようなスピーディーさは出ないから、小道具として考える余地がある。まあ、小道具なら構成いかんで何とでもなるとして、気狂いな人が殺しあう状況。
うん、別にいけるか。いけるなー。国は関係ないのか。
長塚さんが去年やった「LAST SHOW」だって、ある意味キチガイ沙汰だし(アレは真人間が巻き込まれている構図だったけれども)、ていうか、芝居なんて大体がキチガイ沙汰か? と考えると、確かにそう言えてしまうような舞台がチラホラと浮かんでくる。
そうかー。なるほどね。

かるーいノリの、しかし根底には何っか暗ーい淀んだものが流れてる、そんな芝居でした。
二時間ていう時間もちょうどよくて、コレは結構オススメかも。パルコ劇場いいところだし。
A列だったので一番 前かよーと思っていたら、前三列は増設用にかな、XYZ列だったので、結果的になかなか良い席で観れたのでした。よかった。
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by ling-mu.m | 2006-06-30 00:02 | 芝居/舞台
敦-山月記・名人伝-/信長
バイトが休みで学校もなくて家に一人。
という好条件の元、もう大分 前に撮って放置してあった芝居のビデオを消費しようと思い。
世田パブでやった「敦-山月記・名人伝-」を観ようと。
したのだけど。
・・・眠くて眠くて仕方ないのでものの十分で諦めました。
割に静かな芝居のせいかなーと思い、またの機会に託すことに。
中島 敦の「山月記」と「名人伝」を、中島の人柄・生涯を交えつつ上演するこの作品、実はチケットを取りつつ具合を悪くして行けなかったという個人的いわく付きのもの。
いずれ ゆっくり観ようと思います。
「山月記」は中学生の時に国語の教科書で読んだのだけど、ものすごく、何と言うか、身につまされて、心揺さぶられながら読んだのを覚えている。
李稜はアタシだなぁ、と。
以前 知人が同じようなことを思ったと聞いたことがあり、誰しも そう思う部分はあるのかもしれない。
だからこそ教科書にも載るのだろうね。


その後、洗濯をして犬の散歩をして、何となく時間を過ごしつつテレビをつけたら市川海老蔵が主演の「信長」がやってまして。BS-2かな。
コレ、確か田辺誠一が出てるヤツだーと思い、第一部の途中からですが観ておりました。
田辺さんは明智光秀役で、虎視眈々と信長を陥れる時機を見計らっているのかと思いきや、深く信長に心酔している、忠実な家臣で。
羽柴秀吉に比べると、やはり洗練されていて如何にもインテリという感じなのだけど、しかし信長を慕う気持ちは泥臭くて人間味があり、非常に良いキャラクタァで描かれている。
誠実な男が、果たしてどう信長を裏切ることになるのか?
と、展開にドキドキしながら観ていた訳です。
が。
…あと二十分、というところで寝てしまった・・・。
横になったのが仇となり、気付けば番組が変わり、目前には寝息を立てる犬が。
ひぃちゃん、お姉ちゃんは一緒にお昼寝がしたい訳じゃなかったんだよ。
結局、光秀が信長をどう欺いたのか、あるいは欺かなかったのか、終末は分からずじまいで、大変に悔しい思いをしましたとさ。ちぇ。
海老蔵 演じる信長は、自分が天下を治め戦乱を静め、この世に平安をもたらそうとする、一見 平和主義なキャラクタァで描かれている。
しかし、その思いはやがて暴走し、無茶な戦が重ねられ、彼のやり方に戸惑う家臣は信長を狂気の人のように見る。
光秀もその過程において「自分は上様が怖い」と言い出すので、信長が光秀によって本能寺で焼かれたという結末だったとしたなら、光秀の苦渋の決断、のように書かれていたのだろうか。
くそう、気になる・・・。
寝てしまっといて言えた義理じゃありませんが、非常に面白い筋書きの芝居でした。脚本は誰だらう。
国立劇場でやったのだったか、客席は年配の方が多いように見受けられました。
カメラワァクが非常に気に入らなかったのが残念です。
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by ling-mu.m | 2006-04-30 01:03 | 芝居/舞台
マンドラゴラの降る沼
髪を切って桜木町をプラプラしてから、コントライブに行ってきました。
意味もなくバイトを一週間休みにしたら時間がすごくあることを知って感動してます。
一週間て長いな~。稼がにゃいかんと分かりつつも、たまには休養を与えてあげましょう、ということで。
来週からは学校 行きつつバイトだから疲れるだろうなーああ嫌だ。

平日午後の桜木町は人がまばらで良いですな。普段は滅多に行かないんだけども。
横浜の人ごみが嫌でふらっと行ってみたんだけど、正解でした。
夕方の、雨にけぶる街の光がキレイで、久し振りに雨でもいいかも、という思いを抱く。
あんまりギラギラしてない感じが、郷愁を誘います。

で、桜木町を発って蒲田経由で東急池上線(初めて乗った。車両 少なー。赤電みたい)にて池上本門寺へ。
境内に建てられた特設テント内で、シティボーイズ ミックス「マンドラゴラの降る沼」を観て参りました。

突如 思い立ってチケットを取ったのだけど、思うにアタシのお笑いの原点はこの人たちにあるのかもしれない。
幼い頃から(テレビでだけど)ライブを見続けてきたグループは他にいないし、コント好きが高じてラーメンズが好きなのも、元をたどれば彼らなのかもしれないぞ、と。
そして今回はアタシの中でのゴールデンメンバーである中村有志といとうせいこうがゲストということもあり、気持ちが向いたんじゃないかしら。

今更だけど、彼らのライブを見れて東京に来てるんだなーと思いました。

特設テント、しかし雨、寒い、どうなの?
と不安にもなりましたが、流石に設備はちゃんとしてるし、マイク使ってるから雨の音でかき消されるなんてこともなく、終始 楽しんで観れました。
寒かったしパイプ椅子は辛かったけど。でも入口でホッカイロ配ってくれた心遣いが嬉しい。使わなかったけど。
席は観やすく組んであるなと思った(自分の前が通路だったので前に人がいるとどうなのか分かりませんが)。
完全暗転にならないのと、開演後に客席下でガシャガシャ音がしてたのが残念です。

おじさんたちが頑張ってた。
これ以上ないってぐらいに噛んでたけど、まぁ もともと噛みやすい人たちだしコントだし噛んでも面白いから、いいや。
全力 振り絞ってやってるんだけど、たまに空回り。というのも、(年齢的にもグループとしても)年を重ねた人たちのご愛嬌かな、と思えます。
大分 大きな心で見れたのは、しかしやはり根底に、ネタがしっかりちゃんと面白い、という保障があるからだと思う。
観客の目も温かいしね(それにしても笑い過ぎだ、と大竹さんに言われてましたが)。

テントが真っ盛りだった頃の雰囲気と言うのは多分 少しもなくて(アングラっぽいことネタにしてるコントはあったけれども)、何でわざわざテントにしたのかな、と思うところはあります。
金も手間もかかるだろうに。客も95段の階段を登っていかにゃいけんし。
暖かくて桜が見頃で、という好条件が揃えば、いい会場だったのかもしれません。
でもまぁ、こういう催しをさせてくれるお寺がある、という認識が大事なのがな。
日蓮宗総本山でやっちゃうんだから、ある意味 ハクはつきますよね。必要不必要は別として。

来年もゲストがこの二人だったら観に行こうかなー。
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by ling-mu.m | 2006-04-11 23:43 | 芝居/舞台
酒神 デュオニュソス
NHK教育の「芸術劇場」でやってたのを観る。
最初から番組を見てたらTIF演目の「カリラ・ワ・ディムナ」が紹介されてて、既に懐かしい体育館やら1の1やら横川さんやらが映って嬉しくなる。
1の1は、今はもう跡形もないのだなぁ。

この春休み期間、某所で度々 話題にのぼったSPACおよび鈴木忠志。
自分の中で情報が新鮮だと言うこともあり、時間も一時間と短いようだし観てみる気になる。

エウリピデス原作のギリシャ悲劇。
鈴木忠志は外国人を使って何度もやったことのある芝居のようだが、全部 日本人でやるのは初めてなんだとか。
日本の古典芸能を前面に押し出した演出。
熱い。
おそらく、ざくっと原作を切っているのだろうが、かなりシンプルな話になっていた。

そんなに集中しながら観ていた訳ではないので、あんまり大した感想はないんだけど、自分は好きな演出じゃないと思った。
なんとも熱血な、肩に力の入った感じで、疲れる。
声の低い人が声を合わせて喋られると何を言ってるか分からなくなるから嫌いだ、ということも発見した。
よっぽどちゃんと合ってるんじゃなきゃ、ちょっと込み入ったことを言われるともう理解できなくなる。
自分があんまり耳がよくない、というのもあるんだけど。

始終 緊張感のある舞台で、観客にとっては限界だな、という時間で終わるのは有難い。
短いからこその熱さ全開なのだろうか。だとすれば納得はいくし疲れるのは自分の責任、とも思うが。さて。


夕方、随分 前に撮って放置してあった「スタジオパークからこんにちわ」を見た。長塚圭史がゲストの回。
とても不愉快な気分になった。何だあの司会者は。気持ちの悪い。
京三さんと並んでいる映像を見て、初めてこの人達は似ているのかも、と思った。目が似てる。
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by ling-mu.m | 2006-04-11 02:25 | 芝居/舞台