カテゴリ:アート的な( 24 )
ハウルの動く城・大サーカス展/ルオー展
久し振りに東京都現代美術館へ。ピカソ展以来かな。

「ハウルの動く城・大サーカス展」。
チラシ見ても全貌がちっとも分からないこの展示、果たして何をやるのかしらとそれなりに期待しながら行ってみたらば。

ひどい。
ひどすぎる。

何かもう、酷いなんてもんじゃない。
これはジブリ管轄のもとで開催されてるものなのか。宮崎駿はこの事態を知ってるのか?
意図が読めない。この展示をする意図が。
見物なんて何処にもねぇ。何を楽しめばいいか分かんねぇ。
ここまでひどい美術展は初めてだ。
金とって見せる代物じゃないよ。


口直しに、隣でやってる「ルオー展」へ。
ジョルジュ・ルオー。知らない人。絵を見た記憶もないな。
展示物はさほど多くなく。
人物の体の描き方が好き。足の曲線とか。膝の感じとか。
「レスラー」が気に入った。
「優しい人」は、絵を見た後にタイトルを見て、すごく来るモノがあった。
聖書を読もうと思った。教養として必要かなと。

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追記。
ルオー展の協賛「出光」を、どうしても「でびかる」と読んでしまうラーメンズ症候群。
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by ling-mu.m | 2005-05-11 00:10 | アート的な
TDC展
久し振りに芝居以外のアートを観に行ってきました。
銀座グラフィックギャラリーにて、「05 TDC展」を。

昼までバイトして、チャイ語サボって新橋へ。
例によって例のごとく難なく迷子になり、今回はお巡りさんのお力添えで無事に会場へ到着。
小さな通りにあるギャラリーです。

何で行ったかと言うと、私が愛してやまないTV番組「にほんごであそぼ」(NHK教育)のアートディレクター(・・・かな? 何かそんな感じの役回りだと思うんだけど)佐藤卓氏が、同番組でTDC会員賞を受賞したので、お祝いの気持ちでもって、という訳です。

佐藤卓さんは、ロッテのCOOLMINTやXYLITOL、麒麟のやわらかのパッケージデザインをした方だそうです。
行くまで知らなんだよ。ただの「にほんごであそぼ」ファンとして行ったので、勉強になりました。

会場では、「擬音アニメ」と「ひらがなアニメ」が流れてました。

前者は、例えば宮澤賢治の「どっどど どどうど どどうど どどう」という、風の擬音がありますよね。で、風に吹かれて木々が大きくしなる森の映像に、その文字を重ねる訳です。遠くの方から、明朝体が流れてくる。そこに流れる音は風の音なのだけど、だんだんと、人の声でその擬音を読む音に変わっていくのです。この場合は、男の人の低い、囁くみたいな声で。

知識のない私なので推測でしかないのですが、おそらくはどれも、小説や詩や俳句や、そういうものの中から面白い、言ってみれば「ありえねー。聞こえねー。」という音を拾って来てるのではなかろうかと思うのです。

後者は、ひらがなの「音や形や表すもののイメージ」で作られたアニメ。
ふたつ並んだ「る」という字、「るんるるんるるー♪」と言いながらスキップしてるみたいに進む。でも突然、巻き舌で「るるー」「るるるるるー」と、怒ってる声を出す。ひとしきりやりあったら、おおきな「る」から小さな「る」の字が、寂しそうに「るー」「るー」言いながらぽろぽろ。そんでまた二つ並んで、スキップしながら「るんるるんるるー♪」。
つまりは、仲良しな子供のちょっとしたケンカの一連を「る」という字で表してみました、という。

五十音、全部見たことはないのだけど、好きなのは「か」。ぷーん。て、蚊が飛ぶ音させながら「か」が飛んでて、しまいには叩かれて潰れちゃうの。笑えます。

「にほんごであそぼ」は、言わずもがなですが、全国の子供に「じゅげむ」と「ややこしや~」を流行らせた番組です。
十分足らずの短い番組ですが、日本のみならず各国の名言・格言が紹介されてるし、野村萬斎氏による狂言の演目は見れるし、かーなり充実度は高いと思うのです。デザインはいちいち素敵だし。
小さい頃から意味も分からず「しょぎょうむじょうのひびきあり」なんてソラで言えちゃう図は、なかなか格好いいじゃありませんか。
ここで毎日 耳にしてた言葉に、大きくなって教科書でふと再会したりする。そこで初めて意味を知って、そしたら、もう一度その言葉に出会う訳です。改めて。そして血となり肉となる。
いいことだ。


TDC展そのものの話ですが、他の受賞作やTDC会員の作品もかーなり面白かった。

TDCてのはタイポディレクターズクラブの略で、「文字の視覚表現を広く深く追求し、従来の文字の設計にとどまらない「タイポディレクション」の世界を確立していきたい」(HPトップより引用)ところなんだそうです。

見たことある広告なんかもいくつかありましたよ。
ああ、これって人が作ってるんだよなぁ。と、個人名を前にして初めて実感する。
やっぱプロって凄いな。これが仕事する、てことなんだ。


個人的に、インタラクティブ作品はやっぱりすごく面白くて好きだ。自分がアーティストになれたと錯覚できる。
クリックとドラッグで簡単に画面に広がるパターンや不思議な動きをしてみせる線、自分の意思を介在してるのに現れる姿が予想できない楽しさ。
立派にエンターテイメントだなぁと思う。
こういうものが、普通に街中に点在してたらワクワクするなぁ。


今月25日まで開催。お暇がありましたら是非。
GGG、来月は佐藤卓展だって。折角だから観に行こう。

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追記。
んー。嘘ついたくさい。来月は和田誠展だって。あれー?
何処を見たのかしら。

8月は佐藤雅彦だー! やった。
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by ling-mu.m | 2005-04-19 18:13 | アート的な
てことで今日は渋谷へ
昨日 行けなかった友達のグループ展へ。
最寄り駅が渋谷or代官山だと言うので、定期あるから安く行ける方ってんで渋谷を選んだんですが、ものっすごく迷って結局たどり着けず、すごすご駅に引き返して東横線で代官山に向かいました。くっそー。

「着たい着せたいTシャツデザインコンテスト上位入選者」としての、ご褒美の展示会だった模様。
男女織り交ぜて6人での開催、J trip art GALLERYにて。
友達ってのが高校時代の同級生で、でもアタシは彼の作品をまともに見たことがなくて、昨日も言った「新たなるその人の姿」を発見できて、大変 楽しむことができました。
なかなかシャレオツーなデザインをするんだなーというのが大きな感想で・・・何かねぇ、アタシの中ではもっと思いっきりポップな絵を描くのかな、というイメージだったのですよその人は。
それが意外に洗練された、スマートなデザイン群だったのですよ。作品ナシに語っても仕方ないことなんだけども・・・。

Tシャツのデザインてことで、総じてポップでキュートでキャッチーな作品たちではあったんだけども。
そんで、そんな作風だからかもしんないけど、すーごい絵を描くのが好きなんだろうなーこの人達は、と思いました。
美術館に行って作品を見ても、そういう風に思ったことって実は一度もなかったな、ということにも気付き。いや、好きじゃなきゃできないんだろうが当然。
でも、何だかとても、自由な気がしたんだ。好きなことしてます! ていう。絵 描くの楽しくてしょんないです! みたいな。
そんな単純にできあがってる訳ではないだろうことも、予想はできるけどさ。
それに、デザイナー志望らしい彼が、「対象者はやっぱり女の子じゃなきゃ」とか、制約があるんだろー的なこと、言ってましたし。
でも、楽しそうだなーて、羨ましくなる空間でありました。

そういや、これとはまた別件で、ユニクロのTシャツになるそうです彼の絵。いやぁ、勢力的。

アタシも頑張らんといかんです。取り敢えずは、敬愛する作家さんが先生を務める創作指導の授業をこの春から取りたいので、審査用の小説を構想中・・・そろそろ本腰入れないとヤバめ。十中八九 落ちますが、まぁ挑戦しんよりはしといた方が後悔はないからね。うん。
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by ling-mu.m | 2005-03-01 00:00 | アート的な
エッシャーのふしぎ世界展
さっき、書き終わった報告記を全部ふっ飛ばしました。
号泣。
渾身の作(それはいつもそうだけど)だったのに・・・。
立ち直れない。
アタシの馬鹿・・・。大馬鹿・・・。
うう(涙)。

書き直す気力が出ないので、せめて一番 気に入った作品の紹介だけでも。
だまし絵じゃないところがアタシらしさ。とか言ってみる。
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「PINETA VAN CALVI」
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by ling-mu.m | 2005-01-18 23:06 | アート的な
金沢旅行記 3
10:00。
今回の旅の一番の目的である金沢21世紀美術館へ入館。
全面ガラス張りの建物なため、降り注ぐ陽光を存分に受けて館内はとても明るい。
逆に、天気の悪い日はどんな趣になるのかとても気になる。それはそれできっとイイモノなんだと信じたい。

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現在 開催されてるのは「21世紀の出会い―共鳴、ここ・から」という開館記念展。
まずは作品について。
一番 楽しみにして行ったものが、結局 一番のお気に入りになりました。
エランドロ・エルリッヒ Leandro Erlich の、「スイミング・プール」。
狭いトンネルを抜けて小さな小部屋に出る。床や壁にはゆらゆらと水面の模様。見上げると、そこにはたゆたう水の向こうに青い空。
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鼻に水が入らないように気を付けながらプールの底に潜って仰向けになって、てことをしたことがある人は多いと思う。そこにあったのは、そうして見ていた光景。
つまりは、強化ガラスの間に水を張って、水面だけを表現してみました、という作品。
時折、地上からプールを除きこむ人の顔が揺れる。
見下ろす人と見上げる人。空を見る人と底を見る人。とても近い場所にいるのに、互いの姿は見えているのに、空間を共有することは不可能。触れ合うことも、言葉でコミュニケーションをとることも不可能。そんな作品。
私は断然、見上げる方が好きだと思った。
ホントは写真を撮っちゃいけなかったかも? まー誰も写ってないし。ドンマイ。

それから、ジェームズ・タレル James Turrell の「ブルー・プラネット・スカイ」も好きだと思った。
これは、作品名よりその空間に付けられた「タレルの部屋」て呼び方の方がいい。
自動ドアを抜けるとひろーい空間に出て、空気が冷たい。
何で? と思って見上げると天井の真ん中が四角く切り取られていて、見えるのは青。空の青。
天井に四角い穴あけて、ホンモノの空を使っちゃいました、ていう作品。
凄い、ホントにいいタイミングで見たんだと思う。アタシが気に入るタイミング。
雲も飛行物体も移らない、ただひたすら青いだけの空。ムラもなく均一に。
外部と繋がってるからには、庭で子供でも騒いでりゃその声が聞こえた訳で、でもそこにあったのは静寂。物音ひとつしない、ぴんと糸を張ったような寒さの空間。
感じたものは無。自分が空っぽになる瞬間。
気持ちよすぎた。やーばいよ ここは。
金積んで貰えるなら欲しいと思った(最近そればっかだなー。心が貧しい証拠かな)。

プールもタレルも、天気悪い日に来たらどうなんだろう、てすごい興味ある。
それから、一日のうちでもっと違う時間。真昼、昼下がり、夕方、日没、夜。
この建物自体もそうだけど、自然環境にものすごく影響される、そこを考えてない訳がないから、好き嫌いはともかくとして、絶対 全然 違う姿が見られる筈で。
そりゃーまた来たくなるよ これは。そこだけでも確認したいもん。見てみたいもん。

他にも面白い作品は沢山ありました。
マイケル・リンの「市民ギャラリー」、できやよいやベアトリス・ミリャーゼスの絵画、ヴォルフガング・ティルマンスの写真、R&Sie・・・建築事務所の「聞いた話:ノード」、パトリック・ブランの「緑の橋」、ジュン・グエン=ハツシバの映像・・・・・・エトセトラ。
語ってるときりがないくらい、素敵な作品が盛り沢山で、とても楽しい場所でした。

が。
色々と、不満も、まぁ ある訳で。
作品毎に部屋が与えられている、という形なので、いち作者にひとりて感じで学芸員・・・というか、スタッフさんがいる訳です。で、一応その人たちはその作品の解説がひと通りできるらしい。皆さんファイルを携えてたので、おそらくそこにデータが集約されているのでしょう。
でねぇ、無駄に話しかけてくる人がいるんだよ。このスタッフの中で。
私は割と一人で楽しんでしまうタイプなので、自分から求めない限り、人の解説って欲しくないんだ。こうやって見てみてください、とか言われるのも好きじゃないんだ。
それから、その話しぶり。
「これはね、アクリルとかなんとかっちゅー素材で作られてるらしいんですわ」
「あ、あちらも一応 作品になっております」
「こういう芸術なんですよ。これも芸術作品なんです」
・・・・・・うーん。どうなの?
らしいとか一応とか芸術なんですって押し付けてみたりとか。それってどうなの。
と、思った自分にふと疑問。
アタシは、アートを何だか高尚なものに仕立て上げようとしてはいないか?
そういう言葉で語るな、てことは、もっと難く捉えろ、って、心のどっかで思ってるてことじゃないのか?
おおお。ちょっとへこむ。
でもやっぱ・・・作品を解説する立場の人としてはどうなの、と思ってしまうよ。せめて「一応」はやめようよ。誰かが丹精こめて作った作品な訳で、それを鑑賞者が大したことないて判断するのはアリだけど、紹介する側がそういうこと言っちゃ駄目でしょ。
少なくともアタシは萎えたよ、貴方のその迂闊な言葉にさ。

あとね、私が楽しみにして行った作品にまつわる残念な話がふたつ。
エルネスト・ネト Ernesto Neto の「身体・宇宙船・精神」。
夏に近美で開催された「ブラジル・ボディ・ノスタルジア」という企画展で出会った作品の進化版らしくて、私はこの企画展でホントにこの作品が気に入ってたのね。
ストッキングみたいな素材で作られた足元のおぼつかない空間に裸足で入って、そのふわふわした不確かな感触を楽しむ作品なんだけど、私は、天国がこういう場所だったらいいと思って。そしたらきっと幸せな場所だと思って。幸せな気分をくれた作品なんだけど。
それが進化してるってんだから期待するじゃない。
で、実際 金沢のそれは期待に応えてくれそうなものでしたよ。空間が大きくなって、寝っ転がれるクッションがあったりして。
でもねー。そこはもう、完全なる「子供の遊び場」で。
飛び交う嬌声。揺れが止まらない空間。
子供が、子供の騒ぐ声がどうにも嫌いな私にとって、そこはもはや癒しの空間などではなく。
天国などとは程遠く。
苦痛で怒れて悲しくて。
でも、そこでまた色々考えた。アタシが今まで行った東京の美術館に、そんな子供がいたことってなくて。
どこも大人が楽しむ場所で(学校の社会科見学とかは別にして)。
でも芸術って大人のためのものじゃないし。
むしろ子供の頃から親しんどいて損はないものだし。
だから子供が喜んでる姿って本来 歓迎すべきもので。
家族連れが多かったけど、休みの日に、じゃーちょっと美術館行くかー。なんて。いいじゃない。素敵じゃない。
そういう、気軽に来れる場所にすべきだ、てのは確かにある訳で。
・・・じゃあアタシが自衛すればいいんだね。て結論。
平日の夜とか、子供が少なそうな時間帯を選んで来ればいい。

もひとつ。この作品のスタッフさんは若い男の人で、私がブーツを履きなおしてる(この作品に入るときは靴を脱がなきゃいけないので)時に話しかけられたんで話ついでだと思って、これ近美で見たんですよー今回は新作らしいですねー。てことを言ったらば。
「そうなの、凄くなってるでしょ。東京には負けないよー」て。
・・・・・・・勝ち負けの問題じゃなかろう? 優劣をつけるものじゃなかろう?
と、ワタクシ悲しくなってしまって。
確かに、観光名所的な役割を担ってしまっている場所だから、人を集めなきゃいけない場所だから、そういう思いもあるでしょう。郷土愛から出た言葉でもあるんでしょう。
そんな大仰に受け止めることでもないのかもしれない。
けど。アタシは悲しくなってしまったのさね。興醒めしてしまったのさね。

スタッフさん達には、もう少し色々と、頑張って欲しいなぁ。と思いました。

あとねー、折角 建物が素敵なんだからむやみにセロハンテープで張り紙はるのやめて!
そこはお金かけてこだわって!
客に見えるところはとことん綺麗にピシッとしといて欲しい。
仮にも美術館なんだから。

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と、しょーもない不満をつらつら書いてしまいましたが、でもいい所です。
もし金沢行かれる方は、是非 ふらっと寄ってみて欲しい。
何か自分のフィーリングに合うものを、見つけられるかもしれませんよ。

これからどうなっていくかが楽しみだ。
きっとまた行こう。
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by ling-mu.m | 2004-12-29 03:16 | アート的な
写真展ふたつ
昨日のことですが、写真展に行こうと思い立ち、お出かけしました。
ひとつめは、RECRUITが行っている中国若手写真家4人展。銀座にて開催中。
RECRUITのビルの中にギャラリーがあるらしく、てことは日曜は休みかも? と電車の中で気付いて、辿り着いてみたらば案の定。うーん、残念。

RECRUITがアート支援の活動をしているってことを、今までアタシは知らなかった。
会社自体にはR-25を出してきたあたりからぐーんと興味が湧いてて、色々調べてたんだけど。
元気ある企業ですよね。もしこのまま自分の興味が持続して、やってることにも「これだー」て思えたら、就活の時にトライしたいなぁ、とぼんやり考えております。ハイ。

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で、気をとりなおして今度は恵比寿の東京都写真美術館へ。
「明日を夢見て」~アメリカ社会を動かした ソーシャル・ドキュメンタリー を見るためです。

19世紀後半から20世紀前半のアメリカでは、不安定な社会状況を良くするために数多くのドキュメンタリー写真(社会的な問題を記録した写真)が撮影されました。さまざまな社会問題を写真に捉え、それを世の中に広く発表することは、多くの人々に現実を突きつけ、ついには社会改革をおこすチカラとなりました。また、それらの写真は単なる記録にとどまらず、芸術性の高い作品が数多くありました。この展覧会ではそれらの作品約200点を紹介し、社会を変えようと熱く立ち上がった写真家たちの、勇気と挑戦の軌跡をたどります。
                                      (公式HPより引用)

いつだか鍋パーチーをやった時に、たまたま鍋の下に敷かれていた新聞で取り上げられていて、行ってみようと思ったのでした。
そこに掲載されていた写真は、幾人かの新聞少年たちが並んで写っているもの。
Lewis W. Hine の作品が主立っていて、展示されていた写真はそんな感じの、働く少年少女たちを被写体にしたものが殆どでした。
働いている姿というよりは、ポートレイトに近いもの。彼らの目線はカメラのレンズに向けられています。
劣悪な条件下で働かされ、満足に学ぶこともできなかった子供たちの姿は、やはりそれなりに訴えるものを持っています。
幼い、小学校低学年にも満たない子供を労働力にしなければならなかった社会。
家族の大事な稼ぎ手であった子もいれば、自ら働かなければ生きていかれない子もいたでしょう。
現代の、少なくともこの国では考えられない話で。
いつの時代も、変革を呼びかけるには勇気や時間が必要です。当時も、「子供たちに学習する機会を!」と叫ぶには、大変な労力が必要だったでしょう。
写真というメディアがなかったならばしかし、その労力は倍かその倍、とにかくもっと苦労しただろうと予想することは容易です。
そこに在るものを、ありのままに写す。
そのチカラは万能ではないけれど、絵や文章といった、それまで主に使われてきたメディアよりかは、明らかに有効な方法だった訳です。
そう考えると、写真の登場というのは単純に凄いことだったと。
万人に共通して同じものを見せることができる凄い媒体だと。思う訳です。


展示自体は、もう少し報道写真っぽいものかなと思っていたので肩透かしくらった感じ。
色んな人の作品が少数ずつっ紹介されているのもいかがなものかと。
下手すると一枚ってのもあって、それはあんまりじゃないかと。だったらいっそ作者の紹介はせずに、作品だけ並べられた方が見やすかったなと思った。

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もうひとつ、写真美術館で「写真新世紀」という展示がやってました。
無料だからついでに行ってみたら、公募展の入賞作品披露、みたいな催し。
人がわんさかいて、ちょろっと見ただけで出てしまったんだけど、優秀賞をとった作品がもーのすごく大きく展示されていたのね。
それこそ壁一面、て感じで。
その大きさが、何でだかすーごく面白くて。
写真云々の前に、大きさにわくわくしてしまった。
もし自分に作品を発表する場があって、こんだけのことさしてくれるんだったら絶対やってみてぇ! とか、夢見たりしたのでした。
デカいことはイイコトだ。
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by ling-mu.m | 2004-12-20 13:27 | アート的な
ピカソ展 躰とエロス
火曜日、東陽町に行く用事があったので、お隣の木場にある東京都現代美術館へ。
会期終了間近のピカソ展に行ってきました。

ピカソの絵を見て、あんなん自分でも描けるし! とか、何を言いたいのやらさっぱり・・・と思ったことのある人は結構いると思う。私も多分ある。記憶にはないけど。
たしかに幼い子供にゃー難解だ。シュルレアリスムが云々かんぬん言われても何のことやら。それは、今も大して変わらないけど。

でも、ピカソはホントは絵が上手ってことは、分かった。今回初めて、確実に。

ピカソはデッサンがとても上手い人なんだよ。
とは、よく聞く話でありますね。
それを確かめられたことは、大きな収穫だったと思う。
正直、あんまりワクワクしては行かなかったんですよ。
教養深めとくかー程度の意識で。
だから余計に嬉しくて、興奮した。マジいいもの観た! と思ってます。

何がそんなに気に入ったかというと、彫刻家のアトリエを描いたシリーズ。
愛人マリ=テレーズの彫刻を彫るピカソ自身と裸体の彼女が描かれているものが主で、その描線の美しさと言ったらない。とても滑らかで、まるで迷いがないのです。
白地に黒い線なのだけど、陽の差し込む明るいアトリエという感じがして、とても気持ちいい。
小さい画面に無駄のない描き方がされているのも気に入った理由のひとつかもしれない。
そして、これを観たことで「ピカソがデッサン上手いってこういうことか?」と思ったのです。

ピカソ作品として代表される、人間のあらゆる部位が原形をとどめない程にバラバラになっている作品群については、やはりまだ勉強不足でなんとも言えない。正直、理解することは難しい。
でも、きちんと向き合うことで、やっぱりその中にも「ピカソの絵の上手さ」が見られることには気づけたし、じっくり観てみれば自分なりに思うことが浮かんでくる、という発見もあった。
水浴の人々を描いた一連の作品なんか、割と好きだと思ったし。

ピカソがやたらと女性ばかりをモチーフにするのはどういう思いがあってのことなのでしょう。
しかも裸体の女性。
今回の展示に合わせてそういう作品が多く集められた、てのもあると思うんだけど。
「アナトミー」シリーズなんて、「三人の女」ってタイトルのものばかりだし。
女性の性的特徴が、これでもかと言うほどに強調された作品群。
でも、どろどろした感じは不思議とないんだ。
「結合」(だっけ? コトの最中のカップルを描いてる)シリーズも、激しさよりは穏やかさを感じるものだった。純朴…という言葉をここで使うのはどうかと思うけど、まっすぐ、というか。
“白さ”みたいなものに触れた気がしたんだ。


いやでもホント、自分の勉強不足というか、知識の無さを痛感した。
興味があるならもっと勉強しなくちゃ駄目ですね。
草間弥生(まだ本読んでないー・涙)もだけど、パブロ・ピカソも相当 興味深い存在だということを知りました。
何かいい参考書(素人が入りやすいような) があるよって人は、是非 教えてくださいませ。
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by ling-mu.m | 2004-12-09 00:18 | アート的な
COLORS&小沢剛展
言った舌の根も乾かぬうちに、今日も授業をサボってしまいました・・・。
でも今日は寝坊ではなく。
六本木ヒルズの森美術館に行くためだったのですから許してください。
もうすぐ会期が終わっちゃう、ってんで友人と二人で。
目的は「COLORS ファッションと色彩展」と、「小沢剛:同時に答えろYESとNO!」。

まずCOLORSから見て行きました。
黒・青・赤・黄・白と基本色でスペースが分けられ、一色につき約20くらいの衣装が、マネキンに着せられて飾られています。で、巨大スクリーンにはヴィクター&ロルフのファッションショー(て書くと何かダサ気ですね・・・)が流されていて。
マネキンが着てる衣装がすーごい偏ってたのが印象的。
まず、女物ばっかり。男物は全スペース合わせても1・2点あったかなーぐらい(性別判断不可能なやつもあったけど)。
で、その女物も、欧米の19世紀から20世紀ぐらいのドレス(腰をぎゅーってコルセットで締めてるヤツ)か、つい最近のデザイナーによる先進的な洋服か、どっちか、て感じで。
後者が結構 多彩だし、ドレスの方も一辺倒ではないから見るに飽きるってことはなかった。
コム・デ・ギャルソンとかイッセイ・ミヤケとか有名どころの衣装も並んでて、おーってなる(庶民だからねっ)。
映像も面白かった。ヴィクター&ロルフって知らなかったんだけど、男の人2人組みのデザイナーらしく。
黄色と青が印象深いかな。
黄色はね、モデルが踊りまくってるのさ。で、普通のショウみたいに花道が舞台になってなくて、モデルと観客が同じ高さの地面にいるの。こうさ、卒業式の時に卒業生が通れるように在校生が整列してる真ん中を空けるじゃない? あんな感じ。
すーごい楽しそうなショウだった。素敵。
青が圧巻でね、特殊な色素を使うことによって、洋服に映写できるんだ。洋服がスクリーンになってる、って思ってくれれば手っ取り早い。
洋服の輪郭で切り取られた映像。人の身体にできたスクリーン。
とても不思議な光景だった。
映像を流すことによって、それは永遠に「違う服」であり続けられるんだよ。
ちょっとコンセプトは違いそうだけど、思い出したのはドラえもんの「着せ替えカメラ」。
あれが街を闊歩する時代が来たら、面白いだろうなぁ。


で、ちょっと休んで小沢剛の方へ。
こっちはCOLORSの硬質な感じとは一転、とてもリラックスして見て回れる現代美術展。
目的は、大量に積まれた座布団でできた滑り台(?)。
斜面に座布団が敷き詰められてて、そこに寝っころがったり滑ったりできるの。
それをさ、大の大人が嬉々としてやってるんだよ。
きゃーきゃー言いながらおばちゃん達が滑ってるし、おじいさんが一生懸命駆け上がってるし。
大人が無邪気に声をあげながら体を動かして遊んでる姿って、すごい新鮮なんだって思った。
自分が遊んでて、こういう楽しさって最近感じてなかったなって思った。
大人を童心に帰らせるもの。
PSPとかじゃなくて、こういうもので子供時代に帰ることって、結構 必要なんじゃないかな。

どちらも5日までです。機会があれば是非。


森美術館出た後に展望台へ。
東京タワーを視界に入れつつ夜景を堪能。
マジ欲しいわー、あの夜景。
と“i:robe”という新しいデジカメのキャンペーンをやっていて、夜景をバックに一枚撮って貰いました。
このデジカメ、専用プリンタにおいて簡単に操作するだけで印刷ができてしまうという代物。
でもL版とハガキサイズしか印刷できないらしいし、プリンタのグレードアップができないんじゃ? と考えると微妙。そこまでド綺麗! な画像でもないしなー(画素数聞いてないや・・・)。
新しいデジカメが欲しいんですが、さてどうしよう。正月戦線の時が買い時なのかしらねぇ。
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by ling-mu.m | 2004-12-03 01:50 | アート的な
ゲージツの秋なので
という訳でもないですが、時間があったので東京国立近代美術館に行って来ました。
現在は企画展で、「草間彌生展 永遠の現在」がやっております。

草間彌生をきちんと意識したのは今年の夏のことです。
それまでは、作品とか名前とか素性とか、断片的に聞きかじったことがあるぐらいで。
折角 企画展やることだし、学校から近いし、ってことで行って来ました。

入ってすぐ、黄色地に黒のドットでペイントされたカボチャが整然と棚に並んでいる作品と出会うのですが、そこで私は、自分が大量の水玉が嫌いだった、ということに気づきました。
イクラや数の子に代表される、粒々が駄目なのです。
しかし、水玉は草間作品では欠かせないモチーフでして。
しまったー、と思い、それでも何とか見れないものかね、と無理矢理の平常心で作品と向き合ってました。
ら、意外にそこまで気持ち悪くもならず、しばらくしたら平気になりました。免疫でもできたのか。

でも、水玉より気持ち悪いものと対面してしまいました。
いわゆる“ソフト・スカルプチュア”と呼ばれる作品群。
写真でしか見たことがなかったものの実物を突きつけられた衝撃は、正直 吐き気すらもよおさせるものでした。
布製の突起物(男根を象徴)で覆われている・・・というか、それで成っているというか。
写真で見たのは「死の海を行く」という作品だったんですが、それも展示されていて、想像以上の大きさに驚かされたし。
作品量の多さで、そちらもやがて慣れていきましたが。
にしても、何がここまで彼女を執着させるんだろう。
暗示しているものは何か、それはマイナスのイメージなのか否か、決してリアルなそれではなくまるで玩具のようなつくりにしているのは何故か、色々と考え込みました。
理解に苦しむな。

好きだと思った作品が二つ。
鏡張りの個室に色とりどりの電飾を天井からつるし、鑑賞者を真ん中に立たせる「水上の蛍」と、巨大なミラー・ボールが回り続ける「宇宙の心」。
どちらも電気を使ってまして、その辺が自分の好みにビビッときたのだろうなと思います。
電気、好きですから。電飾、大好きですから。
でも、鏡を使っているところがいただけない。特に前者。
鏡で終わりのない空間を作り出してくれる、その幻想性は何とも言えないのですが、如何せん使われているのが鏡なために、自分も映りこんでしまう。「鑑賞する自分」をも、作品の中に認めなければならない。
それが、この上なく辛いのです。
完璧に作品に浸かることを許してくれないから。自分という存在が消せないのです。常に目の前にあるために。
この、自己を目の当たりにする作業さえなければ、これほど素敵な世界はないのに、と思えてなりませんでした。
テーマは“自己消滅”なのに、そこに自分がいることを敢えて確認させる。
伝えられるメッセージは、自己を消せ、ではなく、消えゆく自己を守れ、なのでしょうか?
だとすれば、これほど厳しい作品はかつて出会ったことがないよ。

後者は、角度によっては自分が映らなくて済むから、随分と長い時間 座って見惚れていた気がします。
小さな鏡で大きなボールを作っているから、隙間から電気の光と中の機械が見えて、それが何とも絶妙に幻想的なのに現実的でした。
決して暖かな、柔らかい、幸せな光ではなかったけど、今回は意外にも、それが心地良かったのです。


全体を総じて思ったのは、この人には時代がないのか? ということ。
すーごく昔に作った作品とつい最近の作品が、まるで同時代に作られたように、隣同士で並べられていて、そこに違和感というものがないのです。
勿論、ある程度の流れはあるようです。今はコラージュ作品は作っていない、とか、そういうの。
でも、たとえば「カボチャ」に代表されるように、まるで変化も進化もしていないように思わせる作品も確かにある。
十年、二十年の時が流れているのにこの「変わらなさ」は何なんだ? という疑問が、始終頭にありました。

時間ができたら、ちょっと調べてみようかな。
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by ling-mu.m | 2004-11-02 17:34 | アート的な
芝居の後に
三鷹市美術ギャラリーでやってる、牛腸茂雄展に行ってきました。
たまたま友達(前に写真展開いた人)に会って(たまたまっつっても、ウチが今日の芝居 観てみてーて言ったんだけど。だから会うかもなと思ってたんだけど。でも実際会えたらビックリした)、それを見に行くというので、着いて行かさせて貰いまして。

牛腸茂雄は写真家のヒトです。
会場にあった写真は、すべてモノクロでした。モノクロだと日差しの強さが出るんですね。光と影の境界線が非常にはっきりと分かる。カラーでは、照りつける夏の日差しって、あんまり感じられない気がするんですよね。ウチがまだ、そういう写真に出会ったことがないだけかもしれないけど。

人物のポートレートが多くて、とても個人的な写真だなぁと思いました。
正確に覚えてないんですけど、「写真は、あくまで自分にのみ帰るものだ」という主義の人だった、というようなことが書いてあったんですね。人物紹介のボードで。
その潔さが、いいなぁと思って。だから、沢山の、私にとっては意味のないポートレートも、この人は牛腸にとってどういう存在なんだろうか、大事な人なのかな、たまたま見つけた人なのかな、とか、素直に想像しながら見れた。

写真て、やっぱり「記録」の側面が大きいのかな、と思ったのは、ポートレートの中心はあくまで人間なんだけども、背景ってものが、どの写真にもある訳じゃないですか。
居間だったり庭だったり玄関だったり、または、よく行く公園だったり原っぱだったり街中だったり。その人たちの生活空間が一緒に写っている。
何気なく写っているそういうものの中には、当時はあって今はない物が、たまたま入っている訳です。
何の意識もしてない、いつもはそこにあるもので、その場所で撮ることを選んだからたまたまフレームにおさまった。
今は無くなってしまったそういうものが入っていることで、結果的に写真自体が、昔を感じさせるもの、ノスタルジイを感じさせるものになる。
中心に写る人達を知らない我々にとっては、その写真は「思い出の写真」ではなく、「記録写真」として意味を持つ。
や、勿論、色んな感情を呼び起こす装置として働くこともあるのだけどね。

例えば私は、ある写真で子供が持ってたプリッツの箱のパッケージが全然違うこととその絵柄に、年月を感じたのでした。
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by ling-mu.m | 2004-10-10 22:03 | アート的な