2005年 11月 06日 ( 1 )
目的地
チェルフィッチュの新作「目的地」をこまばアゴラ劇場まで観に行く。
友達が岡田利規 付近で何やらやっていたことから興味を持ち、ちゃんとした公演を観るのはこれが初。
過去に世田パブで「クーラー」という短い作品を観たことはあり、作風は何となく心得てた。
が、一時間四十分という長さでいわゆる「超リアル日本語」による芝居(芝居?)を観るのは、なかなかどうして、結構な労力を要するものだと学習した。
取り敢えず、寝不足は駄目ね。疲れてても駄目ね。
ハイ。またしても寝ました。寝ました。ゴメンナサイ。・・・・・・アタシだって悔しいわよ!

でも、危機感を持ったのは最初だけで、意外に観れた、というのが正直なところかな。
寝て起きたら、ちょっと凄い話になってて驚いた。
西崎の妄想で、子供を生む覚悟について、女を責めるシィン。

ダンボールと鉄板(多分)、二枚の大きなスクリィン。それと椅子。
狭い舞台にあるのはそれだけ。
人々が入れ替わり立ち代り、自分の台詞や人の気持ちを喋る。誰が何役、というのがイマイチ確定しない、曖昧なキャスト陣。
そして日常の些細な動作をわざと大きくしたような、振りとも何とも言えない手足の動き。
ダンスと言うには小さく、芝居と言うには不自然な身振り。

嫌いな人は嫌いなんだろうなと思う。
そしてアタシは嫌いではないなと思った。好きでもないけど。

「超リアル日本語」についてもまた同じく。
「はっきり しゃっきり喋らんかぁ!!」と恫喝したくなる、でも身に覚えも確かにある、的を得ない、なかなか核心をつかない、何度も同じことが繰り返される台詞。
こんな風に台詞を考えていると気持ち悪くなるんじゃなかろうか・・・。大きなお世話ですが。

「誰かの気持ち」を、「本人じゃない人」が喋ることにより、こういう風に自分の考えていることは他人に想像されているのかもしれないし逆もまた然りなのだろうと思った。
と同時に、ここまで懸命にあいつ今どう思ってんだろう、なんてことを考える日常は、実はあまり無いのかもしれない、とも思った。
そういう意味では、この芝居の人々は皆、他人(と言えど、それは恋人だったり伴侶だったりする訳だが)に対する気持ちが強すぎるのではないか、という気がした。それはいいことであり、悪いことでもある。
でもよくよく考えてみれば・・・やはり自分も、日常、あの人きっとこう思ってんだろうな、と考えることは多々あり、それは「あの人」が持つ感情が悪意や嫌悪に近いものほどそういう想像力が働くなぁ、とも思い当たる。
そりゃ、多分あの人アタシのこと好きだわ、なんて考えることは人間誰しも(そんなことはない?)極力 避けたいものですからね。


この話のテェマはやはり「コドモ」なのかな、と思う。
港北ニュータウンについて、という前フリで惑わされそうになるけれども、やはり終始一貫して訴えられていることは「コドモ」についてなのかな、と。

遊び人のイス君の子供を身篭ってしまったかもしれない前田さん、それに対するイス君の不誠実な考え方、猫を飼おうと思ったけど奥さんの妊娠が発覚してやめた西崎さん、子供が無事 生まれるか不安にとり憑かれる奥さん、ファミレスで騒ぐ子供を制しない親へ怒りを抱く西崎さんの同僚。

コドモを生むこと、コドモを育てること。
そういうことに対する、大人の、ボクタチの意見。主に悪い感じの。

幸せにできる確証もないのにコドモを生む、その罪の重さ。
ここでは「だって日本は戦争してるんだよ、男の子だったらいつか徴兵されるんだよ」という極端な例で語られていたけれども(徴兵、て・・・)、それに限らず、イジメとか学級崩壊とか変質者とかストーカーとか、年功序列の崩壊と能力主義の台頭とか環境問題とか根強い学歴主義とかアメリカ式競争社会への流れとか色々、イロイロ問題はある、訳で。
でもそんなん言ってたら子供なんていつの時代も生めないし子孫繁栄は生物の本能行動なんだから言ったってどうしようもない。
どうしようもないけど、そういうことを言いたい人は沢山いて、心配してる人が沢山いて、だから岡田さんは言ってみたのかもしれない。試しに。

子供がちゃんと生まれてくるか心配だ、ていう奥さんの気持ちもまた、そうで。
お腹の中にいる時に障害の有無が判定できるようになって、でもそれに反対する声も当然あって、でもやっぱり何事もなく生まれて欲しい、ていうのが親の本音である訳で。

そういうこと全部、言ってくれたのかな、て。
西崎さんの同僚の、うるさい子供を放っとく親への怒り、というのも。
全部、代弁してくれた。
私にとっては、そういう作品。
だから何だかスッキリしました。

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昼間は、人がザワザワいる学校祭へ。
あまりの人間の多さに負けて、結局いつも通り文キャンの喫煙所でうだうだしてました。
たこ焼とじゃがマヨは食べた。それで充分。
去年はこの中をサークルの広報でビラ配りとかしてたんだな・・・と思うと、いやぁ、若かったな、なんて思います。
失われたパワァはきっともう戻ることなく、このまま駄目な方向へナナメに落ちてゆくのでしょう。
それもまたよし。
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by ling-mu.m | 2005-11-06 00:31 | 芝居/舞台