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彼女について
よしもとばなな『彼女について』を、今しがた読了。
しばらく布団に突っ伏してめそめそしていたのだけど、PCも付けっ放しだし(夜通しの作業をさせているため。いつもはちゃんと落とすよ)、吐き出しとこう。と思ったので、それについて少し。


いしいしんじ が絶賛していたので、という理由で、普段まるで読まない作家の新作をハードカバーで、しかも正価で買う、なんてことをしました。
ばななは、いつか『キッチン』を読んで以来、とか、きっとそれぐらい読んでいない人です。

今回、読みながら、ああ結構 心地の良い文章を書く人なのだなぁ。と知りました。
それから、この作品に限ったことなのかそうでないのか、分からないけど、優しくて柔らかい世界の書き方をする人なんだなぁ。とも思いました。
その世界は、すごく居心地がよくて、気持ちよくて、何にも考えなくてもよくて、安心できる場所でした。

だからこそ、最後に、何でこの世界がそうであるのか、ということの種明かしをされて、その答えが悲しくて、しくしく泣きました。
彼女は明るい方へ向かって行くはずなのに、でもやっぱりその前途は悲しくて、泣きました。
もしかしたら、可哀想に思っていたのかもしれない。
だとしたら、それは的外れであるべきです。

読み終わって、ネタばれをしないように、と思いながら感想めいたことを書こうとすると、ひどく抽象的になる、そんなようなことを いしいさんも言っていて、ああ成程。と思いました。
これは読んで貰うしかないなぁと。
激しく薦められる、そういう類の本ではないけれど、これを読むことで救われる人がいるなら、この物語は生まれて然るべきだったなぁ、と思います。なんて、まるで自分が書いたもののような言い草になってしまうけれども。


読みながら、辛い思いをするところが いくつかあって、感慨にふけるというか、そういう感じになる箇所があったのだけど、果たして「今の自分じゃない自分」が読んだら、どういう風に受け止めているだろうか。と、読み終わってから考えました。
今の自分じゃないっていうのは、つまり、死ぬこととか生きることとか、その辺のことに対して、切実な実体験をしていない、という意味なんだけど。

過去は一本道で、たられば は許されなくて、今ここにある自分ただそれだけが実在でそうじゃないものは一切ありえないのだけど、でも、やっぱり考えてしまう。
こうしてめそめそ泣いている、ここで泣いてしまうアタシは、いなかったかもしれないのか。
それとも、どういう道をたどろうと、やっぱり同じように、反応していたのか。
ただ単純に、他意はなく、含みもなく、言葉通りの疑問が浮かびました。

そんな問いの答えは、神のみぞ知る、というヤツで、そもそも問いからして成立しないものなんだけども、ていうことも考えて、よいしょ、ってひと呼吸おいてから、一本道の先に今立っている自分、それだけがたったひとつの真実なんだなぁ。と実感するんだなぁ、と。思いました。
遠回りしているようだけれども。


『流星の絆』然り辻村深月の作品然り、そしてこの本も、きっといしいしんじの新作も例に漏れず、切なくなると分かりきっているものに寄って行ってしまう。最近の自分の傾向を、そう思います。
それは別に今に始まったことではなくて、きっとずっと性質として持っているのだろうけども、止まらずにそういうものばかり摂取し続けようとするのは、果たしてどうなのだろうか。
不健全ではなかろうか。

もっと、明るくて楽しくて馬鹿馬鹿しいものばかりを見ながら生きていくこともできるのになぁ、きっと。
頭ではそう分かるけど、まぁ、何だかんだ言って、好きだから、ていう、それに尽きてしまうのかもしれない。
泣くのも、傷つくのも、そうしてから改めて前を向くのも、切なさの向こう側にあるそういう諸々のことが、好きだから、止められないし、自分からどんどん行ってしまうのだろうなぁ。



そんな風なことを思った、読書でした。

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by ling-mu.m | 2008-12-06 02:30 | 活字/漫画
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