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ロープ
2006年の締めはNODA・MAP「ロープ」でした。
渋谷はシアターコクーンにて。去年の締めも野田地図だったなー。
不幸にも最前列だったので少しばかり腐りましたが、まぁ宮沢りえ間近に見れるんだから・・・と、心を沈めて頑張りました。
いやしかしでも、やっぱり最前列はよろしくないね。全体が捉えられない。物語の中に入り込む、ということはどうやっても不可能です。悔しい。

舞台上にはロープを張られたリング。
弱小プロレス団体の社長が死んで、その息子でレスラーでもあるヘラクレス(藤原竜也)は、自室に引きこもって出てこない。
相方のカメレオン(橋本じゅん)とレフェリーは、グレート今川(宇梶剛士)との試合を明日に控え、どうにか彼を出てこさせようとする。
そんな彼らを隠し撮りしようとするテレビ局のディレクター(野田秀樹)とAD(三宅弘城)とディレクターの妻(渡辺えり子)。
そして、リングの下に棲みついていると言う「未来から来たコロボックル」のタマシイ(宮沢りえ)。
舞台の壁面には、数字とアルファベットとまた数字が、整然と並んでいる。


今回は、どうなの? という出来だった気がします。
好きくない、ということもない。
でも、会心の出来! という訳でも、なさそう。
物語も演出も演技も。
イマイチ。

宮沢りえは細すぎ。びびる。
その細さが、張り詰めた緊張感を醸し出してるんだろうか。
肉体っぽくないカラダ。

藤原竜也は今回オトナシめな感じがした。
そういう演出をされたのかな?
「オイル」の時みたいに、台詞が入ってこなかった。それは、この芝居全体に対しても言えることなのだけど。
肌が荒れ荒れなのが ちょっと気になりました。

渡辺えり子、初めて見たのかな。
この役をこの人にしたってことは、あんまり重要人物として扱いたくないっていう作者の思いがあったのかしら。
演技はそんなに好きじゃないけど、この人にして正解だったなーと思った。
今回、キャストのバランスはとてもよい気がする。

個人的には中村まこと に拍手。
好きです。


プロレスとベトナム戦争を交えて、暴力と正義のおハナシ。
野田氏の言葉づかいの上手さはもちろん相変わらずで、でも、あまりに それが上手すぎて、すーって、通過しちゃった感じ。
響いてこないんだ、胸のここんところまで。
響いてこないってところに、問題意識を向ければいいんだろうか。
何で響いてこないのか。
プロレスのリング上で起こる戦いだから。
ロープの中で繰り広げられる惨事だから。
そんなことで響いてこなくなる自分が問題?
自分の構え方が問題?
うーん…だとすれば、訴えられた意義はあるのかな。

  青年の純情は愚鈍。愚鈍は鈍感。
  敵の顔を見えなくする。

という主張。
すごくストレートに言ってくるなぁ、と思った。
野田氏ってこんなにストレートにものを言う人だったっけ?
真っ直ぐなあまり、それを ど真ん中で受け止める度胸が自分にないだけかもしれない、と思う。
なんっか こそばゆいですよ。とか思っちゃって。
それはそれで問題。
いや、でも直接的に戦争はいけませんよ、とは言ってないんだ。そこは言ってないんだ多分。
そういう、どうしようもない大きなちから、暴力、を、乗り越えなきゃいけないんだ、ていうことかなテーマとしては。
そういうものに屈服した後にも未来は続いてるんだ、日々を続けていかなきゃいけないんだ、ていう。
それだったら受け止められそうな気もする。


テレビと戦争。
9・11を、これでもかと言うほど意識している内容。
わざわざベトナム戦争を持ってきたのは、「よく晴れた朝に四時間で殲滅された村」という衝撃さを使いたかった故か。
あざといな、という思いを抱いてしまう自分が問題?


壁面に書かれた文字が、番号で数えられた死者の名前とその享年、だと気付いた時には少しぞっとしました。
そういうの、提示しちゃうんだ、て。
でも それは演出だけど事実で。
虚構の向こうに厳然と示された現実。それはちゃんと受け止めなきゃいけないこと。
恐れをもって受け止めなきゃいけないこと。
それをただの文字の羅列として見てはいけないんだということ。
それは、観客の義務だと思った。



「シアターコクーン」でここまで「ストレート」に「戦争」を題材にした「芝居」をやって、集客して利益が上げられるのは、やっぱり野田秀樹だからなんだろうなぁ、と思った。
野田秀樹が、やんなきゃいけないことなんだろうなぁ、と。
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by ling-mu.m | 2006-12-28 18:44 | 芝居/舞台
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