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噂の男
生協まで出向いてコンタクトを購入後、学校図書館に寄ろうとしたら軒並み休みで(お盆前なんだからやってろよ!)、仕方なく周辺の本屋をぶらついたあと、目的地の渋谷まで行ってしまって、金曜夕方の雑踏の中ゆっくりめに歩いたにも関わらず、パルコ劇場に開場五分前には着いてしまいました。早。でも既に来てる人は予想以上に多。当日券でもないのに何故。

で、観て来たのは福島三郎・作、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「噂の男」。
脚本の福島氏についてはアタシは全く知らず、名前すら知らない人の書いた作品を観に行く、というのも、そう言えば久しくなかったなぁと観劇後に気付きました。いかに狭い観劇の仕方をしているか、ということにも繋がりますな・・・反省。
ケラさんが演出して八嶋智人と山内圭哉と橋本じゅんが出る、しかもパルコ、てことでチケットを取ったのですが、いやぁ、面白かったです。

関西の演芸場の舞台袖、階段をのぼれば(お芝居上の)舞台の下手、階段下にはボイラー室への扉。(実際の)上手にはホワイエに通じる扉・・・・・・て、うん、なかなか面倒くさいな説明しようとすると。な。
ま、とにかく舞台に立つお笑い芸人たちとその周辺の人間の悲喜こもごも、という話。
ダークで毒っ気のある台詞や話運びは、何処かしらケラさんに通じるものがあるように思えました。割と筋道だっている辺りは長塚氏っぽくもあるかな、とも思うけど。
何にしろ、結構 好みの芝居でした。

ボンちゃん(山内)は、彼より先輩の筈なのに腰の低いトシ(猪岐英人)の妻で相方のアヤメ(水野顕子)と、旦那公認のもと出番前にヤッてるような売れっ子芸人。
売れるためなら手段を選ばないのか、彼は演芸場の支配人・鈴木(堺雅人)とも関係を持つ。
その鈴木は、業界に入った当時「パンストキッチン」というお笑いコンビのマネージャーをやっていた。飛ぶ鳥を落とす勢いだったコンビはしかし、ボケだったアキラの事故死により事実上、消滅。
残された相方のモッシャン(橋本じゅん)は、一人で仕事を続けていたようだが、数日前から行方不明。
アキラの12年目の命日に、ボイラー技師・加藤(八嶋)が演芸場のボイラー室を訪ねたことにより、過去の出来事が明るみになっていく。

サスペンス調のちょっぴりだけヒューマンドラマ。という感じでしょうか。コメディ、と言うにはダークだし、シリアスかと言えばそんなこともないのだが。まぁ、要はいい塩梅で。
ボイラー室を構えた舞台袖、という同じ場所を軸に、時間は現在と過去を行き来する。
無害に思われた人々が何かしらの罪を持ち、恨みを持ち、隠しに隠した、抑えに抑えたそれが噴出して描かれた地獄絵図。
舞台は関西、ということもあり、台詞は関西弁でした。それが新鮮でキモチイイ。堺以外はネイティブなのでしょうね、勢いも凄いものがある。
堺だけは標準語で、無理をしない、というのもあるのだろうが、お笑い、という輪の中には存在しない、外からそれを見つめる立場というものを明確にする役割も果しているのだと思う。

実際に消えて見なくなった芸人の名前を挙げるシビアさがいい。きっと それってテレビじゃタブーだから舞台ならではのものだし。
演技力は二重丸の人ばかりだから(堺はそうでもないか、と思っていたけど意外にいい芝居をしていたように思う。見劣りすることはなかった)、すごく安心して見れるし。

八嶋が、ぎゃんぎゃん煩いんだけど根っこに暗い恨みを持つ役を好演していたのが印象的。
濡れ衣を着せられた親父の復讐だ、と言ってホッシャンをギタンギタンにしようとするあたりは、その切実さが胸にきて痛かった。
これでもか、というほどに傍若無人だったホッシャンが、今となっては半ばキチガイの廃老人になっている姿が、涙を誘う。で、また、それがラストの実は正気でした、というシィンとのギャップで嫌ぁな気分にさせられるところが、また。うわぁ、やられたわぁ・・・という脱力感と苦さを誘う。
最後まで見てみれば一番まともな人間だったかもしれないボンちゃんを山内が演じている、というのも、なかなか興味深いキャスティングだと思う。理性の人、という感じではないから。

色んな人の想いが交錯して、すれ違って、しかも人間の気持ちって多面的で決してひとつに決まるものじゃないんだ、という事実が切ない。
どれが本音でどれが建前で、と言うことすらできない複雑さと気まぐれさを抱えている。

その点、加藤の気持ちは一番スカッと筋が通っていて、だからこそ彼の復讐が果されなかったこと、ホッシャンをボコボコにしながらも気持ちが晴れなかった姿は、悲しいものがある。
鈴木も、アキラを信じていたという点では真っ直ぐだったか。しかし、その真っ直ぐさが彼を不幸にしているのだよねぇ。可愛そうな人です。

お互いに、相方によって支えられていると考えていたパンキチの二人。
面白いのは自分じゃない、相方なんだ、と考えていた二人。
ものすごい不安の中で、活動していたのだろうし、生き残ってしまったホッシャンは、そりゃあもう辛かったろう。
しかしまぁ、一番 図太かったのも結局はこの人なのかもしれないけど。

他人に笑いを与える人間の舞台裏、というのは、なかなかに気持ちのよくないものでございましたよ。

二時間半で休憩ナシは辛かったけど、充実していたからまぁヨシ。
ケラさん脚本じゃないけど長かったなぁ。
若くして死んだコンビ芸人の片方の死因と享年を途中で字幕出しするのは、要らん演出のように思えた。何かシラけるのは、アタシが彼らの殆どを知らないがためか? 知ってる人なら、懐かしさと切なさを思い起こさせるものだったのかしらん。だったら あってもいいのかもしれん・・・。
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by ling-mu.m | 2006-08-12 00:40 | 芝居/舞台
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