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芝居の後に
三鷹市美術ギャラリーでやってる、牛腸茂雄展に行ってきました。
たまたま友達(前に写真展開いた人)に会って(たまたまっつっても、ウチが今日の芝居 観てみてーて言ったんだけど。だから会うかもなと思ってたんだけど。でも実際会えたらビックリした)、それを見に行くというので、着いて行かさせて貰いまして。

牛腸茂雄は写真家のヒトです。
会場にあった写真は、すべてモノクロでした。モノクロだと日差しの強さが出るんですね。光と影の境界線が非常にはっきりと分かる。カラーでは、照りつける夏の日差しって、あんまり感じられない気がするんですよね。ウチがまだ、そういう写真に出会ったことがないだけかもしれないけど。

人物のポートレートが多くて、とても個人的な写真だなぁと思いました。
正確に覚えてないんですけど、「写真は、あくまで自分にのみ帰るものだ」という主義の人だった、というようなことが書いてあったんですね。人物紹介のボードで。
その潔さが、いいなぁと思って。だから、沢山の、私にとっては意味のないポートレートも、この人は牛腸にとってどういう存在なんだろうか、大事な人なのかな、たまたま見つけた人なのかな、とか、素直に想像しながら見れた。

写真て、やっぱり「記録」の側面が大きいのかな、と思ったのは、ポートレートの中心はあくまで人間なんだけども、背景ってものが、どの写真にもある訳じゃないですか。
居間だったり庭だったり玄関だったり、または、よく行く公園だったり原っぱだったり街中だったり。その人たちの生活空間が一緒に写っている。
何気なく写っているそういうものの中には、当時はあって今はない物が、たまたま入っている訳です。
何の意識もしてない、いつもはそこにあるもので、その場所で撮ることを選んだからたまたまフレームにおさまった。
今は無くなってしまったそういうものが入っていることで、結果的に写真自体が、昔を感じさせるもの、ノスタルジイを感じさせるものになる。
中心に写る人達を知らない我々にとっては、その写真は「思い出の写真」ではなく、「記録写真」として意味を持つ。
や、勿論、色んな感情を呼び起こす装置として働くこともあるのだけどね。

例えば私は、ある写真で子供が持ってたプリッツの箱のパッケージが全然違うこととその絵柄に、年月を感じたのでした。
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by ling-mu.m | 2004-10-10 22:03 | アート的な
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