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もの書きってやつはさ
先日、某所でGOETHE(幻冬舎)編集長・舘野氏とOCEANS(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)編集長・大久保氏の対談を聞いてきました。
これから編集者・ライターを目指す面々に向けて行われたものということもあり、終始 興味深いお話を聞かせて頂いた訳ですが。

その中で舘野氏が仰ってた。
「ものを書く人(を含めた、表現者)っていうのは、何処かが何か不足していて、どうにもうまく生きられなくて、満たされなくて、ものを書く(表現をする)ことでやっとそれが達成できる人たちなんだ」
というようなことを、言ってらしてまして。

言われてみれば、と考えなおすこともなく、それは全くその通りな訳です。
なんっか世の中とズレてるなぁたまんないなぁもどかしいなぁうまくいかないなぁ誰も分かってくれないのかなぁ、そんな所からものを書く欲求は生まれる。というか、書かざるを得ない状態になる。
でも実はそれは多くの、あるいは全ての人間が普遍的に思っていることだったりして、でも一般人は奥底にそういうものを持ちながらも何となくごまかしながら生きていけれて、もの書きっていうのはそれが出来なくて苦悩していて言葉に搾り出さなきゃ死んでしまうような、そういう人たち。
不朽の名作として後世に残っていくものはほんの一握りで、その前に多くの人に読まれる、という段階すら通過できずに淘汰されていく作品は数多ある。
が、とにかく表現者というものはそういうもので、ある筈だしべきだ、と思っているのです。

かつての文豪たちは精神病だの自殺だのでその精神的不具者ぶりを見せていた訳だけど、どうにも生ぬるくて優しさという真綿に絞められているような今のご時世では、そんなことは何となくはばかられる。
が、表現者の根底はやはり変わってはいないのじゃないかなぁ、と、常々 思っていることを強固にした、館野氏のお話でした。

しかし一方で、早稲田文学編集者・市川氏が言う、
「君たち(創作がしたくて創作の授業に出ている学生)がものを書きたがるのは、かつて太宰が、鷗外が、漱石が書きたがった、その気持ちとは大いに違う。近代の小説を書きたいという気持ちと、現代のそれとには、大きな乖離があるのです」
(もう記憶があやふやだけど確かこんな感じ)という意見にも、納得できてしまうのですが・・・。

別に、表現者はこういうものだ、という定義づけをしたい訳ではないのです。
それこそ、小説家・北村薫氏の言うように、「ものを読むってことそれ自体が表現なのですよ」ということも言える。が、ここではそれは別の道筋なのでちょっと置いといて。
ただ、誰でも何でも、発表することだけは本当に簡単にできてしまう時代なだけに、そういうものなんだよな、ってことを、忘れずにいたいと、思ったのでした。



対談が終わって室外に出たらものすごいどしゃ降りでびっくりした、昨日の話。
コンビニでどーしようもないビニ傘を500円も出して買わなきゃいけない切なさに泣きそうになりながら帰りましたさ。
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by ling-mu.m | 2006-05-21 19:31 | 思慮
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