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プラネタリウムのふたご
b0026230_115628.jpg好き:★★★☆☆

プラネタリウムに捨てられていた、ふたごの男の子。ひとつの彗星をふたつに分けて名付けられた二人は、解説員の泣き男をお父さんに、化学工場で生計を立て、昔ながらの掟やしきたりを守る小さな村で育つ。様々な人と関わりながら、様々な出来事が起きる日常を繰り返し、二人はやがて、大きな運命の岐路に立ち、それでも日々はいつの間にか、日常を取り戻しては進んでいく。

いしいしんじ・著。
いしい作品ふたつめ。
結構 分厚い本です。ハードカバー(20cm)で454頁。
中身もどっしり。物語の中で、赤ん坊だったふたごはだんだんと年を重ね、明確な年齢は出ていないけども、最後には二十代後半ぐらいにはなってるんじゃないかな。
彼らを取り巻く大人たちが、結婚したり昇進したりすることでも、時の流れを感じます。
これほどの分量で、しかし全然 飽きがこない物語を書くその力に呻いてしまう。すごい、なぁ。

読み終わったあと、私はとても、哀しさに近い、へこむ感じの切なさを覚えて、胸のうちが重くてしかたない(ちょっと現在進行形)んだけども、その理由を考えてみたら、出てくる人みんながみんな、優しすぎるからじゃないかな、と思い当たった。
すごく、みんな、優しいのです。で、その優しさは何処から来るのかしらと考えてみると、発生源は愛なのじゃないかなと。誰かを、何かを、愛してて大事にしてあげたくて声を荒げたくなくて許したくて、だから優しくするのかなと。そうすることで、自分が傷つくことも厭わずに。
いや、こう書くと、バカがつく手合いの善人ばかりが出てくる話なのかい、と勘違いされるやもですが、そうじゃない。
そうじゃなくて、そんな綺麗な物語では決してなくて、微笑みがこぼれるようなラストなんか用意されていなくて、ただただ切ないばかりで、私はその気持ちを持て余して仕方がないのだけれど。
でも、いい人ばかりなのは本当。人って誰でも根本はイイヒトなのかもしれない、と、性善説を唱えたくなるような。

優しくできるのは愛のある証拠。
ここには、沢山の愛が散らばってる。色んな形で。甘い言葉を直接 囁くばかりが愛じゃないってことを知る。むしろ、当人は気付かないのにそんなことお構いなしで注がれる愛の方が、沢山 描かれている気がした。
果てしない、途方もない、底無しの優しさ。
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by ling-mu.m | 2005-03-10 01:17 | いしいしんじ
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