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ライン Line
友達に誘われて、赤レンガ倉庫で舞台を観て来ました。
赤レンガ行ったの初めて。クソ寒かった。

観たのは、横浜ダンスコレクションの一環である、日仏共同制作プロジェクトで、村上龍の「ライン」という作品を舞台化したもの。
ダンスコレクション、の中で行われるので、当然ダンスが中心な訳ですが、ダンスの話は後にして。

舞台は小さめ。観客席もそんなに多くなかったです。でも満員。行ったのが遅かったせいか、階段に座布団 敷かれて座らされました。

向こう側が透ける幕が舞台いっぱいに垂れていて、それがスクリーンとして作品中盤まで使われてました。東京の街中を線路(モノレールかなぁ?)で辿っていく映像が主で、雑踏や横断歩道などのシーンもあり。
物語(という程にストーリィのある芝居ではないのですが)は、東京で暮らす若者の心の暗い部分を描く、というもの。
オムニバス形式に様々な人物にスポットが当てられ、ほぼ独白の台詞でもってそれぞれのシーンが成り立っている。

台詞は殆どフランス語で、そのため舞台の左右二箇所に、字幕を映し出すスクリーン。
これが、非常によろしくなかった。

演じられるのは舞台。でも字幕は完全に舞台の外。横。
筋書きのある芝居を観るからには、言葉が分からなくてもいいや、と開き直ることは不可能。当然、字幕を懸命に目で追う。でも観たいのは演技。役者の表現。
どっちも観る、ということができないつくりに、これは絶対もっと何とかしようがあっただろう。このやり方は不正解だろう。と思う。

字幕がまた、ものっすごい量の台詞をいっきに映し出すものだから、字幕は読んじゃったけど役者はまだなんか言ってる、という状態になって困る。
台詞に応じた表現を役者はしている訳だから、そこを切り離しちゃう姿勢というのは、どうにもこうにもいただけない。
アタシは台詞じゃなくて表現で色々感じたいのに、これじゃ言葉ばかりに捕らわれて、しかもただ読むだけだから心になんか残りもしない。
これじゃ、小説以下でしかない。
小説をわざわざ舞台にして、しかも違う言葉で、外国人に見せようって言うんだから。
何かもっと、考えて欲しかった(考えてない訳じゃなかろうけど)。

ストーリィは、あってないようなもので、ただ、ところどころでユウコという女が登場して、彼女が出てくることで統一感を出そうとはしていた。と言うか、原作がそうなんだろう。
ユウコは、電話線の中を走る信号が見えてしまう女。
彼女の使い方も、無理矢理な感じが否めない。あまりにも断片的すぎたんじゃなかろうか。


で、ダンスについて。
アタシにとって、ダンスという表現はまだまだ全く、未知のものでした。
もともと、理解しにくい・感動しにくい分野だな、という思いはありました。
でも、ちゃんと「ダンス」と銘打ったものを観たことがなかったので、誘われたのをいい機会だと思って、行ってみた訳なのですが。

何だか、不完全燃焼。
アタシの理想の・・・というか、満足のいくツボを、上滑りされている感じでして。
ここ、ここを押して欲しいんですけど! て、身悶えるような。うぅぅぅぅぅぅぅん・・・違う! て。
アタシは多分、骨がバキバキに折れるとか、そういうんじゃないと駄目なんだよね。
ありえないぐらいに上がる脚とか、回る腰とか、伸びる指とか、脱・人間的な(コレはもう、中国雑技団でも観てろ、ていう話なのかしら・・・)。
あるいは機械じかけのような、完全なる非・人間的動き。

好きなのはラインダンスやマリオネットの真似(これはダンスじゃないか)、新体操の団体。揃ってるものが好き。でも完璧に、じゃなくちゃ嫌。一糸乱れぬ動きが欲しい。
イマイチ好きになれないのがフィギアスケートの個人で、跳んだり回ったりしない箇所。

今回のダンスは、後者を見た時に感じるのと同じもどかしさを覚えて、やっぱり満足がいかなかった。
見慣れていないせいもあるのだろうけど、表現したいことが分からない。ダンスの持つ表現力自体が、低い気がした。訴えかけられるものがないと言うか。受け止める側の素質がないからだ、と言われてしまえばそれまでだけど。

総じて、不満の残る舞台ではあったかなー。
透けるスクリーン、その向こうで表現する役者、映し出される映像、ユウコの特異な設定、気に入ったところも多々あったけれども。村上龍の書いた台詞も、結構 好きだと思ったし。タクシー運転手の独白のシーンなんて大好きだ。彼の演技をそのまま、字幕なしで観ることができたらきっと鳥肌が立ったと思う。

取り敢えず、原作を読んでみようか。
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by ling-mu.m | 2005-02-19 00:47 | 芝居/舞台
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