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僕らの家、僕らの海
初めて下北沢で芝居を観て来ました。
ヒンドゥー五千回第12回本公演「僕らの家、僕らの海」。

高校時代の同級生5人が、随分と久し振りに再会して共に暮らし始めた。
それぞれが定職に就いて忙しく働いている中、ひとり不安定なバイトで生計を立てる康夫。
彼がする話は高校時代の思い出を語るばかりで、同居人たちには煙たがられていた。
今を生きる人たちと、過去にすがりつく人たち。
今はいつか思い出になり、記憶が忘却の途を辿るのは止められない。
それでも、忘れられない日々があった筈だ。確実に。


おとつい観に行った友達の出てる芝居が思った以上に面白くなくて、これはどこかで取り戻さねば・・・と思っていたところでなかなかイイハナシが観れたので良かった。
多少 台詞のしつこさが気になったのですが、今回の脚本がそういうものなのか毎回こうなのか分からないので、取り敢えず次の公演も観に行こうかなと思いました。
話自体は好きだった。

高校時代に囚われている康夫が、イタくてイタくて仕方がなかった。
それは多分、自分自身にまるで重ならないからだと思う。
高校を出るまでは学校という場所が死ぬほど嫌いで、でも生活のほぼ全てが学校だけで成り立っていて、そんな自分が腐りきってたあの頃に戻りたいなんて露ほども思っていない人間だから。
康夫のように過去を思い出しては あの頃はよかったーなんて言ってる人の気持ちは、私には全然 分からない。
基本装備の欝とネガティブ思考が今はナリを潜めてるというのもあるかもしれない。
私を不愉快にさせるもので世界が満ち満ちていることに、まるで変わりはないけども、そういうものに潰されないだけの気持ちがあるから。
そう考えると、普段の状態で観たら怖いことになっていたかもしれない。危なかった・・・。

康夫以外の人々は、仕事をしながら忙しく日々を過ごしてる。
過去は思い出されもしないところにしまいこまれて今だけに追われている姿には、それはそれで不安にさせられる。
どんなにくだらない思い出でも、それが今の自分を形作っていることは確かなことで、そこからしか繋がっていないということもまた事実で。
そうすると、腐ってた私のあの頃も、現在に至るには必要な過程だったのかと・・・思わない訳でもない。というか実際そうなのだから、認めなきゃいけない。でもそれは難しい。

彼らのもとには、色々な人がやって来た。
康夫を、ちゃんと働けと叱咤する兄。
おきくんの、隠されていた住所を勝手につきとめて押し掛けて来た妹。
家事をする代わりに家賃タダという条件で彼らのもとに住みついた良枝の父。
彼らの先輩であった、熱くてウザイ横田。

昔から変われないままのそれぞれが、彼らの家にやって来て彼らをうんざりさせる。
いつまでも同じままではいられない。
それはみんな分かっていることだけど。

覚えているとか忘れてしまうとか、記憶とか思い出とか。
そういうことを描いた物語だけど、思い出って大事だよねなんてそんな簡単な話じゃない。
今を生きなきゃねなんて前向きな話でもない。

  忘れるまで覚えてるんだよ。

ある登場人物の台詞ですが、結局はそれだけのことなのかもしれない。
忘れたくても。覚えていたくても。
でも、忘れたつもりでいても、何故か突然よみがえる記憶がある。
そういうものは大切かもしんないなぁ。と思った。


2月6日まで、下北沢OFF・OFFシアターにて上演。
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by ling-mu.m | 2005-01-30 23:56 | 芝居/舞台
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