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フランケンシュタイン
b0026230_457456.jpg海洋冒険家のウォルトンは、北極を目指し船を走らせていたところで一人の男と出会う。男の名はヴィクター・フランケンシュタイン。錬金術に魅せられた挙句、屍からより集めた死した細胞で一体の生物を造り上げてしまった科学者である。彼は、己が創造した怪物を追っているところだと言う。怪物を抹殺するために。
一人の男が破滅していく様と、怪物の奇妙で悲しい物語、そして二人の行く末が描かれる。
わずか19歳の少女が紡いだ、今もなお語り継がれる怪物の誕生物語。

メアリー・シェリー著。私が読んだ創元推理文庫の訳者は森下弓子。
出版は1818年。187年前・・・ですか。『詳細 世界史』の域ですわな。

レポートの課題図書でして、読んでみたらなかなか面白かったので紹介してみようかと。
一般に知られている「フランケンシュタイン」が、実は怪物の名ではなくそれを作った科学者の名前だと言うことは、多分そんなには知られていないことなのでは、と思いますが、どうでしょう。少なくとも私は知らなかった。本来の物語の中では、怪物は怪物でしかなく、固有の名前を持たないのです。それが、今となっては憎むべき創造主の名で呼び馴らされている。因果なものです。
おそらく、人々に共感を生んだのは怪物であって、科学者よりも重要な存在だった。だから、タイトルである「フランケンシュタイン」が、読者にとって大事な人物であり、より印象の強い怪物の呼び名に自然と移行してしまった。・・・のではないかと。個人的には思ってます。

読みやすいです非常に。語り口調ですので。語り手はウォルトン→ヴィクター→怪物→ヴィクター→ウォルトンと変化していきますが、混乱することもなく、スムーズに読み進めることができると思います。
内容も分かりやすい。ホラーではないです。全然 怖くはない。

科学者は悪。怪物は善。
私の中でははっきりと線引きができています。覆ることはない。
科学者、ヴィクターの語りが大部分を占めるのだけど、この上なく胸くそ悪いものです。エゴと被害者意識にまみれた腐った精神しか、こいつは持ち合わせていない。
怪物を造り上げたのは他でもない自分なのに、その醜悪な姿に慄き無責任にも放り出し、怪物が侵した罪の根本にある原因を考えもせずに、彼を憎み罵り蔑んだ。そして彼と交わした約束も破棄し、何だかんだと言い訳をしながら己の幸せを追い求め、結局は全てを失い、そこで初めて怪物を殺しにかかり、追いかける。
何が気に入らないって、「おまえの婚礼の夜に、きっと会いにゆくぞ」と怪物に言われ、今までの怪物の行動を見れば何をされるか分かりそうなものなのに、意味の分からん思い違いをして結局、自分は生き永らえているところです。どうしたって元通りにはならない人生、そこから何も知らぬ人々を自分の手を汚すことなく消し去るつもりだったのでは、そのために半ば強引に自分が殺されるのだと思い込んだのでは、と疑いたくなる。
言葉が多すぎなのですよ。誰かが死んだ時、とにかくこいつは喋りまくる。嘆きの言葉を、恐ろしく豊富なボギャブラリーでもって並びたてる。そこがいけ好かない。――これは、海外小説の特徴なのかも、とも思いますが。シェイクスピアに代表されるように、向こうの連中はとにかくよく喋る、て印象がある(シェイクスピアは戯曲だから、喋らにゃどうしようもない、てのもありますが)。
とにかく、その言葉が胡散くさいことこの上ないのです。愛する人の死を防ぐためにヴィクターにできたことはいくつかあった筈なのに、それらが見えない振りをして、後の祭りになった時に嘆き悲しみ後悔する。その狡さに反吐が出る。
でも、悲しいかな、彼は人間の本質を表している、それもまた真実なのです。
蔑み嫌悪するのは、自分の中にも彼と同じものがあることを感じるから。利己的で、自分が一番 可哀想だと嘆くヒロイズムは、私の中にも確かに存在してしまうものなのです。

一方で、怪物もまた、人間なら誰しも持っている性質を表した存在であるのです。
怪物は、孤独を恐れ嫌がっていた。その思いは自分の愛したある人間の一家に、その醜悪な姿のために慄かれ受け入れてもらえなかったことで増幅し、人間世界で生きることを彼に諦めさせた。しかし、“生”そのものへの執着は消えなかった。幸せな日々を求める心が、伴侶を造って欲しいという創造主への依頼を呼んだ。
他者に嫌われることに怯えながら、愛を欲しがって不器用に生きる、その姿はまさに現代を生きる人間の姿なのではないかと。この物語が作られた時代を思えば、現代と言わず普遍的な在り様ですらあるのではないかと。思ってしまうのであります。
怪物は言います。「自分は誰だ? 何者なのだ? どこから来たのだ? 自分の運命は何なのだ?」(168頁)
これは絶えず我々も考えていること、この答えが欲しくてあがいている人は決して少なくない筈です。それぐらい、みんな自分に自信がなくて何者かになりたがってる。怪物は、そういう気持ちの反映なのです。そんな怪物を愛おしく思うなと言う方が無理な話で。
でも、実際に自分の目の前に怪物が現れたら、その姿形に驚いて恐怖を覚えて、それきり彼と分かり合おうなどということは・・・・・・・しないんでしょうなぁ、きっと。それが分かってしまっているというのも悲しい話。結局はどこまでも、自分はヴィクター的な存在だということなのでしょうか。

「ヴァイブレータ」とか「ハッシュ!」とか、「アカルイミライ」もそうだけど、この辺の映画を観た時に思うのは、弱くて脆い人に優しい世の中であって欲しいと。ちゃんと一人で立ってられない人達が、少しでも傷つかない世界になればいい、てことなんだけど。
この怪物にも、少しだけ、同じような「弱者」の影を見たのです。だからまた、思ったのだ。特にこの怪物は「善人」だからさ。イイヒトが幸せになれる仕組みに、ホントはなってなきゃいけないのにな、とは、普段の生活で善人に接するたびに思っていることなので。私は善人じゃないからさ。ごめんなさい、て気持ちもこめて、思うのです。

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徹夜明けの頭で勢いに任せて書いてしまいました。レポート書いてたら、もはや一限に間に合うように起きる自信がなくなる時間だったので。
今日は1・2限 出た後夜までバイトだ。頭働かないんだろうな。
試験勉強、というものを全くしていないままにテスト期間突入です。あーあ。
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by ling-mu.m | 2005-01-11 06:29 | 活字/漫画
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